奥瀬英三
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奥瀬 英三(おくせ えいぞう、1891年2月28日 - 1975年11月23日)は、三重県出身の洋画家。浦和画家の一人。示現会代表。瑞宝章受章者。
人物
[編集]三重県上野村(現:伊賀市)に生まれ、画家を目指して上京。太平洋美術学校の教授になった。帝展にて連続して特選を受賞し、1929年には審査員となった。1931年には埼玉県浦和市に移住し、終生居住したことから浦和画家として知られている。戦後は山岳風景画を多く残している。新光洋画会や槐樹社、示現会の結成者の一人。蕨画塾講師。勲四等瑞宝章のほか埼玉新聞社から埼玉文化賞が贈られている。
経歴
[編集]- 1891年(明治24年)2月28日 - 三重県阿山郡上野村(のち上野市)に生まれる。
- 1909年(明治42年) - 京都市立第一商業学校を中退。
- 1912年(明治45年) - 画家を目指し上京。太平洋洋画会研究所に入学、5年間学ぶ。
- 1917年(大正6年) - 太平洋画会会員となる。後、太平洋美術学校の教授となる。
- 1929年(昭和4年) - 帝展審査員となる。斎藤与里らと槐樹社を創設。
- 1931年(昭和6年) - 埼玉県浦和町(1934年に浦和市)に移住。
- 1936年(昭和11年) - 海軍の後援で海洋美術会を結成。海軍従軍画家として2カ月中国の揚子江をさかのぼり武漢から岳州方面へ移動する。
- 1942年(昭和17年) - 海軍報道班員としてジャワ島に従軍。
- 1947年(昭和22年) - 太平洋画会を脱退し、示現会を結成。
- 1951年(昭和26年) - 第一回埼玉県美術展が開催され、審査員となる。
- 1968年(昭和43年) - 瑞宝章受章。
- 1975年(昭和50年)11月23日 - 84歳で死去。
参考文献
[編集]- 埼玉の画家たち さきたま出版会 2000年