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奐(かん、生没年不詳)は、中国戦国時代に秦に仕えた軍人または政治家。姓は不明。昭襄王の時代、楚との戦の記録[1]にその名が見られる。
昭襄王6年(紀元前301年)、庶長の奐が楚を攻め2万の首を取った[2]。
昭襄王9年(紀元前298年)、奐が楚を攻め8城を取る[3]。
- ^ 『史記』秦本紀第五
- ^ 『史記』秦本紀第五 昭襄王:六年,蜀侯惲反,司馬錯定蜀。庶長奐伐楚,斬首二萬。涇陽君質於斉。日食,晝晦。
- ^ 『史記』秦本紀第五 昭襄王:九年,孟嘗君薛文来相秦。奐攻楚,取八城,殺其将景快。