奈良県立室生高等学校
表示
奈良県立室生高等学校 | |
---|---|
北緯34度33分47秒 東経136度01分07秒 / 北緯34.563111度 東経136.018556度座標: 北緯34度33分47秒 東経136度01分07秒 / 北緯34.563111度 東経136.018556度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 奈良県 |
学区 | 全県一学区 |
設立年月日 |
【設置】 1985年(昭和60年)12月18日 【開校】 1986年(昭和61年)4月1日 |
閉校年月日 | 2006年(平成18年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒633-0315 |
外部リンク | 奈良県立榛生昇陽高等学校 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
奈良県立室生高等学校(ならけんりつ むろうこうとうがっこう, Nara Prefectural Murou High School)は、かつて奈良県宇陀市室生区にあった公立の高等学校。
2004年(平成16年)に奈良県立榛原高等学校と統合され、奈良県立榛生昇陽高等学校が新設されたことにより募集を停止し、2006年(平成18年)3月に閉校した。宇陀高等女学校、榛原高等学校とともに、同窓会は榛生昇陽高等学校同窓会に統合されている。
設置課程・学科
[編集]沿革
[編集]- 前史
- 1948年(昭和23年)12月1日 - (三本松村立)「奈良県立榛原高等学校三本松分校」(定時制)が設置される。三本松中学校に併設される。
- 榛原高等学校本校は奈良県立であったが、分校の設置者は三本松村であった。
- 1955年(昭和30年)- 宇陀郡2村(三本松・室生)、山辺郡1村(東里)が合併の上、室生村が発足したことにより設置者が室生村となる。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 奈良県立山辺高等学校東里分校を統合し、「奈良県立榛原高等学校室生分校」と改称。
- 1958年(昭和33年)- 大字三本松琴引から大字大野ワダヤマに校舎を新築し移転を完了。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 設置者が室生村から奈良県に変更され、県立高等学校となる。
- 1984年(昭和59年)4月1日 - 生徒募集を停止。
- 1987年(昭和62年)3月31日 - 廃止される。
- 正史
- 1984年(昭和59年)4月1日 - 奈良県立高等学校設置準備事務所が開設される。
- 1985年(昭和60年)12月18日 - 奈良県立室生高等学校が設置される。
- 1986年(昭和61年)4月1日 - 「奈良県立室生高等学校」が開校。4学級編成を行う。
- 1987年(昭和62年)7月 - 硬式野球部が、高野連に加盟し、第69回全国高等学校野球選手権大会奈良地方大会に出場。
- 1992年(平成4年)- 生徒の受け入れを4学級分から3学級分に減員(前年の入学者数179から122に減員)
- 2004年(平成16年)4月1日 - 奈良県立榛原高等学校との統合により、奈良県立榛生昇陽高等学校が新設される。
- 室生高等学校としての募集を停止。ただし、在校生(2003年(平成15年)入学生)が卒業するまで経過措置として存続される。
- 2006年(平成18年)3月31日 - 閉校。
- 跡地
- 2014年(平成26年)3月29日 - 跡地に奈良県立橿原考古学研究所室生埋蔵文化財整理収蔵センターが開所[1]。
卒業後の進路
[編集]- 卒業後、進学した者は少なめで、就職者が多い傾向にあった。進学の一例として、大阪経済法科大学、奈良産業大学、天理大学、近畿大学、大阪芸術大学、花園大学、龍谷大学、池坊短期大学、奈良文化女子短期大学、桜井女子短期大学、白鳳女子短期大学、奈良芸術短期大学、大阪工業大学短期大学部、大阪産業大学短期大学部、近畿大学短期大学部、帝塚山大学短期大学部、三重中京大学短期大学部などがある[2]
脚注
[編集]- ^ 奈良県立橿原考古学研究所室生埋蔵文化財整理収蔵センター開所式パンフレット (2014年3月29日) (PDF)
- ^ 奈良県立室生高等学校編『創立二十周年記念誌』、82頁。
関連項目
[編集]関連サイト
[編集]- 奈良県立榛生昇陽高等学校
- 旧室生村のあゆみ - 宇陀市ウェブサイト
- 奈良県立高等学校等設置条例改正の概要 - 奈良県ウェブサイト
- 奈良県立橿原考古学研究所室生埋蔵文化財整理収蔵センター開所式 - 奈良県立橿原考古学研究所