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奈良光幹夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

奈良光 幹夫(ならひかり みきお、1972年2月5日[1] - )は、奈良県奈良市出身[1]武蔵川部屋所属の元大相撲力士。本名は中原 幹夫(なかはら みきお)[1]。身長179cm・体重116kg。最高位は東幕下30枚目。

人物

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奈良市立都南中学校では相撲とラグビーで活動し[2][3]、ラグビーでは県大会では準優勝[3]。中学3年生の1986年に全国中学相撲選手権大会個人の部に参加、2回戦で敗退[4]。中学卒業後、武蔵川部屋に入門し、1987年3月場所本名の「中原」で初土俵を踏む[1]1989年3月場所四股名を「奈良光」に改める。1990年11月場所三段目に昇進する。2年間三段目で取り続けていたが1993年から第五腰椎分離すべり症で1年半休場。1994年1月場所から番付外に落ちた。1994年11月場所で序ノ口に復帰し、この場所は7戦全勝し優勝した[2]。その後は番付を上げ1996年7月場所幕下に初めて上がった。2001年5月場所限り引退した。部屋では和歌乃山の付け人を務め、相撲甚句の唄い手だった。

エピソード

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2001年に打撃の威力を測定するテレビ番組の企画で「武蔵川部屋の秘密兵器」として引っ張り出された。その機械に頭から突っ込み、威力は1tを超えた。その後同じ企画が大島部屋で行われ、旭光も1t超えを出したため、二人の四股名から「仁義なき光戦争」と呼ばれた。

戦績

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  • 生涯成績:264勝252敗44休(82場所)

各段優勝

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  • 序ノ口優勝1回(1994年11月場所)

改名歴

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  • 中原 幹夫 (なかはら みきお)1987年3月場所-1989年1月場所
  • 奈良光 幹夫 (ならひかり みきお)1989年3月場所-2001年5月場所

脚注

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  1. ^ a b c d 『相撲』1987年3月号89頁「角界トピックス」「力士往来」。
  2. ^ a b 『大相撲』1995年1月号109頁「話題力士ズームアップ」。
  3. ^ a b 『VANVAN相撲界』1995年2月号 73頁、「あすなろ通信」。
  4. ^ 相撲』1994年12月号75頁「十両以下各段優勝者」。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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