奇乾県
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中華民国 黒竜江省省 奇乾県 | |
[[|←]] 1920年 - 1933年 → | |
簡体字 | 奇干 |
繁体字 | 奇乾 |
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拼音 | Qígàn |
カタカナ転記 | チーガン |
国家 | 中華民国 |
省 | 黒竜江省 |
行政級別 | 三等県 |
建置 | 1920年 |
廃止 | 1933年 |
面積 | |
- 総面積 | km² |
人口 |
奇乾県(きかん-けん)は中華民国黒竜江省にかつて存在した県。
地理
[編集]奇乾県は黒竜江省北西部、大興安嶺北川。アルグン川下流西岸に位置した。現在の内モンゴル自治区アルグン市に相当する。東は漠河市、南は室韋県、西北はソビエト連邦に接していた。
歴史
[編集]県名は奇乾河河口に位置していたことに由来する。
清代は黒竜江将軍呼倫貝爾総管の管轄地とされ、1880年(光緒6年)に呼倫貝爾副都統の管轄に移管された。
中華民国成立後の1920年(民国9年)10月、黒竜江省は奇雅河卡倫(哨戒所)に奇乾設治局の設置を決定、12月14日に正式に成立た。1921年(民国10年)12月17日、県に昇格し三等県とされた。1925年(民国14年)5月、呼倫道が設置されるとその管轄とされ、1929年(民国18年)2月の呼倫道廃止後は呼倫市の管轄とされた。
1932年(大同元年)、満州国が成立すると奇乾県は興安北分省の管轄とされた。翌年には県制が廃止となり奇乾弁事処に改編、同年7月には額爾古納左旗及び額爾古納右旗に分割・編入され奇乾県は消滅した。
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