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夫婦同姓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
夫婦同氏制から転送)

夫婦同姓(ふうふどうせい)、または夫婦同氏(ふうふどうし/ふうふどううじ)は夫婦が結婚の合意により共に夫またはは妻の氏を称する制度。民法750条に規定される。

解説

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我が国では法律上ファミリーネームを「(うじ)」とし、結婚した夫婦は同じ氏を名乗ることとされている[1]。夫婦同姓は明治31年(1898)の旧民法において「戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」と同じ家の者は同じ氏を称することが定められ、のちに日本国憲法の成立を受けた昭和22年(1947)の民法改正により、男女平等の理念に従って「夫又は妻の氏を称する」と民法750条に新たに規定された。日本では長いこと疑われることのない社会規範とされてきている[1]

近年になり夫婦別姓(夫婦別氏)や旧姓の通称使用の拡大や法制化が議論されるようになってきている。

経緯

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日本の近世の親族法においては武家法と庶民法の分離が見られ、武士は超世代的な連続性をもった同姓の同族・同名・一門・一族・一家・一類と称する父系血族集団の中で本家、末家(分家)を構成しており、家の代表者である当主が広範囲に及ぶ家内統制の権限と責任を有していた[2]

明治時代になると江戸時代の身分制から地域別編成を原理とする戸籍法が整備されるようになり、これに関連して苗字・氏の制度と一夫一婦制度が近代法の制度として確立された[3]

明治3年(1870)9月19日太政官第608号布告により平民に氏が許可された[3]

明治5年(1872)8月25日太政官第235号布告においては氏の原則改称ができないことが定められ、明治8年(1875)2月13日太政官第22号布告では「苗字」の使用が義務とされ、不明な場合には新たに設けることを規定した[3]

明治8年12月9日太政官第209号達では婚姻や養子縁組、離婚、離縁は「戸籍ニ登記セサル内ハ其効ナキ者ト看做ス」という法律婚主義が採用された[4]が、実際には戦前から戦後にかけて内縁事実婚関係が多く見られ、これに法的保護を与えるか否かの議論も行われていた[5]

このような戸籍制度の整備の中で内務省は婦女の結婚を婿養子と同じとみなし夫家の苗字を称すべきとの照会を太政官に出したが、これに対して、 明治9年(1876)3月17日太政官第15指令では「婦女人ニ嫁スルモ仍ホ所生ノ氏ヲ用ユ可キ事」という夫婦別姓が一旦定められた[3]。これは江戸時代以前の武士や豪農などで行われていた妻はその家の氏(姓)を名乗れないという慣習が背景にあったと言われている[6]

しかし、武士法に依拠する制度に対して庶民の夫婦は住んでいる地名などを事実上の「氏」として自然な形で同氏(同姓)を名乗っていたので、武士法を基準にした夫婦別姓という発想自体が庶民にはなくまったくなじめなかったと言われている[7]。このような庶民の生活実態とのズレにより地方から政府への制度への違和感の訴えが起こされ、東京府でも明治22年(1889)に「凡ソ民間普通ノ慣例ニ依レバ婦ハ夫ノ氏ヲ称シ、其生家ノ氏ヲ称スル者ハ、極メテ僅々」との報告が記されているという[7]

以上のような経緯により明治31年(1898)の民法成立時には夫婦は家を同じくすることにより同じ氏を称することができるとされる夫婦同氏制が成立した[8]

旧民法746条には「戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」と規定されていた。民法における氏は「家」の名であり、個人はすべて各自の家に帰属し、戸籍を介して行政的にも把握された[9]

当時、法典調査会の委員であった法学者の奥田義人も日本には「人ノ妻トナリテ他家ニ入リタル後モ、尚、生家ノ氏ヲ称スル慣習アリ」と夫婦別姓の慣習が武士階級等にあったことを認めながらも時代の要請に応じて夫婦同姓原則が成立したことを述べている[10]

敗戦により日本国憲法が制定されると日本国憲法第24条の個人の尊厳と両性の本質的平等の方針にそって昭和22年(1947)に民法の改正が行われ、戸主の制度は廃止され、戸主を中心とした家族制度(家父長制)はこの時に廃止された。家族は親族共同生活の現実に即して新たに規律され直されることとなった[11]夫婦同氏制についても制度は維持しつつも、男女平等の理念に沿って、「夫婦の合意により夫または妻の氏を称することができる」とされ民法750条に規定されるところとなった[12]。 当初の政府案では「夫婦ハ共ニ夫ノ姓ヲ称ス」という案であったものをGHQ司令部からの示唆により「夫の氏ということが、両性の平等に反するじゃないかということで、結局『夫又は妻』になった」(我妻編 1956:131)という経緯により現在の民法750条が成立したという[13]

一方、戦後においてもお互いの姓が異なる内縁事実婚の夫婦は多くみられ、保守政党の自由党が事実婚主義による民法改正案を出したり、同じく自由党婦人部が「あるがままの男女平等」を求める事実婚主義を提唱していたが、1947年の民法改正による「家族の民主化」を進めるリベラル、革新勢力により夫婦、家族の事実婚主義は前近代的とされて排斥されていった[14]

このように明治以前の氏姓についてはさまざまな議論があり、夫婦同姓が伝統か伝統でないかという議論についても、夫婦別姓の推進者は「たかだか100年程度の歴史しかない」ということに対し、夫婦同氏(夫婦同姓)の維持の賛成者側からは「伝統としてすでに国民の間に定着している」という反論がなされている[15]

判例

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最高裁判所は夫婦同氏(夫婦同姓)制度について平成27年(2015)12月と令和3年(2021)6月の二度にわたり、民法750条に規定される本制度や戸籍法は日本国憲法に違反しないとの判決が下されている[16][17]。より具体的には夫婦同氏制(夫婦同姓)を定める民法750条は憲法13条には違反しないこと、民法750条は憲法14条一項には違反しないこと、民法750条は憲法24条一項および二項に違反しないとの判決が出されている[18]

平成27年12月最高裁大法廷においては夫婦同氏制について「明治31年に我が国の法制度として採用され、我が国の社会に定着してきたものである」とその伝統性を認めつつ、「氏は家族の呼称としての意義あるところ、現行の民法においても、家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位と捉えられ、その呼称を一つに定めることには合理性が認められる」との評価と「夫婦が同一の氏を称することは、上記家族という一つの集団を構成する一員であることを、対外的に公示し、識別する機能を有している。特に婚姻の重要な効果として夫婦の子が夫婦の共同親権に服する嫡出子となるということがあるところ、嫡出子であることを示すために子が両親双方と同氏である仕組みを確保することにも一定の意義があると考えられる。」とその機能と意義が評価され、「家族を構成する個人が、同一の氏を称することにより家族という一つの集団を構成する一員であることを実感することに意義を見いだす考え方も理解できることである。」との意義も評価されている[19]。 しかし、本判決で最高裁は「この種の制度の在り方は、国会で論ぜられ、判断されるべき事柄にほかならない」として判決が立法権を侵害することのないよう司法の原則も述べている[20][21]

世論

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夫婦同氏制(夫婦同姓)に対しては現行の制度を維持すべきという意見に対して、夫婦別々の姓を選択できる選択的夫婦別姓制度の導入することへの意見もある。令和3年に内閣府が行った世論調査では

  • 「現在の制度である夫婦同姓制度を維持した方がよい」と答えた者の割合が27.0%
  • 「現在の制度である夫婦同姓制度を維持した上で、旧姓の通称使用についての法制度を設けた方がよい」と答えた者の割合が42.2%
  • 「選択的夫婦別姓制度を導入した方がよい」と答えた者の割合は28.9%

であった(内閣府世論調査)[22]

令和6年9月に読売新聞が行った世論調査においても「夫婦は同じ名字とする今の制度を維持する」は20%、「夫婦は同じ名字とする制度を維持しつつ、通称として結婚前の名字を使える機会を拡大する」が47%と最多であり、「法律を改正して、選択的夫婦別姓制度を導入する」は28%であった[23]

国際比較

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選択的夫婦別姓の推進を主張する意見には「夫婦同姓は世界でも日本だけ」という主張もあるが、実際には各国の制度は複雑で一様ではないと言われている[24]。大半がヒンドゥー教徒のインドや慣習法の国であるジャマイカでは夫婦同姓であり、イタリアでは夫は元々の姓を使うが、妻は夫婦の結合姓を使うという[25]アルゼンチンも同様だが、旧姓の通称使用も認められており、フィリピンでは夫の姓に合わせた夫婦同姓で、妻は結合姓も名乗れるという[25]ドイツは1993年に夫婦別姓を許容したが、原則は夫婦同姓であるという[25]韓国では姓が「出生の血統」を表し、「父系血統を対外的に表示する」ものであるゆえに夫婦別姓が原則であるという[26]

以上のように夫婦や親子の姓についてはそれぞれの国の伝統や家族観によって異なっているのが実態という[25]。日本の選択的夫婦別姓案はスウェーデンをモデルとしていると言われているが、実際のスウェーデンは事実婚や同棲が多く、離婚率も5割を超えると言われており、同国が選択的夫婦別姓を導入したのは事実婚による別姓を追認したものとも言われている[24]

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b 滝沢聿代 2016, p. 3.
  2. ^ 浅古弘・伊藤孝夫・植田信廣・神保文夫 2010, p. 202-203.
  3. ^ a b c d 浅古弘・伊藤孝夫・植田信廣・神保文夫 2010, p. 305.
  4. ^ 浅古弘・伊藤孝夫・植田信廣・神保文夫 2010, p. 306-307.
  5. ^ 阪井裕一郎 2021, p. 19-22.
  6. ^ 椎谷哲夫 2021, p. 38.
  7. ^ a b 椎谷哲夫 2021, p. 39.
  8. ^ (法務省「我が国における氏の制度の変遷」https://www.moj.go.jp/MINJI/minji36-02.html
  9. ^ 滝沢聿代 2016, p. 34.
  10. ^ 阪井裕一郎 2021, p. 55-56.
  11. ^ (国立国会図書館:再建日本の出発 https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/saiken/shousai/2_20_21_22.html?num=22
  12. ^ (法務省:我が国の氏の制度の変遷 https://www.moj.go.jp/MINJI/minji36-02.html
  13. ^ 阪井裕一郎 2021, p. 64.
  14. ^ 阪井裕一郎 2021, p. 19-25.
  15. ^ 阪井裕一郎 2021, p. 64-65.
  16. ^ 平成27年12月16日 大法廷判決、平成26年(オ)第1023号
  17. ^ (最高裁判所判例集 事件番号  令和2(ク)102 https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/412/090412_hanrei.pdf
  18. ^ 滝沢聿代 2016, p. 106-111.
  19. ^ 平成27年12月16日 大法廷判決、平成26年(オ)第1023号
  20. ^ 平成27年12月16日 大法廷判決、平成26年(オ)第1023号
  21. ^ 椎谷哲夫 2021, p. 11.
  22. ^ (内閣府世論調査『家族の法制に関する世論調査』、令和3年12月、https://survey.gov-online.go.jp/r03/r03-kazoku/
  23. ^ (読売新聞オンライン 夫婦の名字「旧姓の通称使用拡大」47%…読売世論調査 2024/09/15 22:00 https://www.yomiuri.co.jp/election/yoron-chosa/20240915-OYT1T50071/
  24. ^ a b 椎谷哲夫 2021, p. 22.
  25. ^ a b c d 椎谷哲夫 2021, p. 23.
  26. ^ 阪井裕一郎 2021, p. 57.

参考文献

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  • 滝沢聿代『選択的夫婦別氏制 これまでとこれから』三省堂、2016年5月10日。 
  • 浅古弘・伊藤孝夫・植田信廣・神保文夫『日本法制史』青林書院、2010年9月1日。 
  • 椎谷哲夫『夫婦別姓に隠された不都合な真実』明成社、2021年9月17日。 
  • 阪井裕一郎『事実婚と夫婦別姓の社会学』白澤社、2021年5月31日。