太郎ヶ城
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太郎ヶ城 (岐阜県) | |
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城郭構造 | 輪郭式平城 |
築城主 | 国枝為助 |
築城年 | 応仁文明年間 |
主な城主 | 国枝氏 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | なし(過去に、土塁と幅7m以上の堀検出) |
指定文化財 | なし |
太郎ヶ城(たろうがじょう)は、美濃国池田郡本郷(岐阜県揖斐郡池田町)にあった日本の城。
概要
[編集]応仁文明年間(1467-1486年)ごろ、安八郡(現神戸町)田村から本郷に移った国枝氏の、国枝為助が築城したとされる[1]。
国枝氏は為助の後、正助、宗龍、重光、重元、重高、政森と続いたが、関ヶ原合戦で石田三成率いる西軍に属して敗れた[2]。
場所
[編集]発掘調査によって土塁跡と幅7メートル以上もある堀を検出したが、現在は小学校の北側の路地脇に石碑があるのみである[4]。
脚注
[編集]- ^ “本郷城跡 池田町史跡”. 岐阜県揖斐郡池田町. 2024年7月6日閲覧。
- ^ “美濃 太郎ヶ城”. 城郭放浪記. 2024年7月6日閲覧。
- ^ “池田・本郷城 /城跡巡り備忘録 岐阜県”. www.466-bun.com. 2024年7月6日閲覧。
- ^ “本郷城跡・太郎ヶ城跡発掘調査報告書”. 全国遺跡報告総覧. 2024年7月6日閲覧。