太田暁
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府京都市南区 |
生年月日 | 1971年1月23日(53歳) |
身長 体重 |
180 cm 68 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1988年 ドラフト6位 |
初出場 | 1991年4月7日 |
最終出場 | 1996年9月15日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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太田 暁(おおた さとる、1971年1月23日 - )は、京都府京都市南区[1]出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。
現在はオリックス・バファローズの打撃投手で、2019年から内野手として同球団に所属する太田椋は実息にあたる[2]。
来歴・人物
[編集]京都西高等学校入学後に移った[3]帝京第五高等学校への在学中までは投手で、中国遠征のメンバーにも選ばれていた。甲子園球場での全国大会とは無縁であったが、中学生時代に経験したアメリカ遠征試合で2本塁打を放つなどの実績から、打者として注目されていた。
1988年のNPBドラフト会議で、近鉄バファローズからの6位指名を受けたことを機に入団[1]。投手として指名されたが、打者としての選球眼と野球センスを高く評価されたことから、入団後に内野手へ転向した。しかし、プロ野球選手としては細身だったことが災いして、当時厚かった一軍の選手層に割って入るまでには至らなかった[4]。一軍公式戦には通算3試合の出場で、1本の安打も放てないまま、1996年限りで現役を引退。ただし、1997年以降も、近鉄のチームスタッフとして二軍の用具係などを務めた。2001年には、椋を授かっている。
近鉄球団が2004年限りでオリックス・ブルーウェーブに統合されたことから、2005年以降は、統合によって誕生したオリックス・バファローズに在籍。高校時代まで投手だった経験を買われて、打撃投手へ転身した。打撃投手としては「球の回転がかなり美しいうえに、投げた球がすべて真ん中のコースへ集まる」との評価を受けるほど選手からの信頼が厚く、現在は、一軍の打撃練習で外国人選手や主軸選手を相手に投げている[5][1]。
家族
[編集]息子の椋は、中学生時代に羽曳野ボーイズへ所属した後に、天理高等学校へ進学。暁の近鉄時代のチームメイトだった中村良二監督[4]の下で「高校球界屈指の大型遊撃手」として頭角を現すと、2018年のNPBドラフト会議1巡目での指名[6]を経て、2019年から暁と同じくオリックス・バファローズの一員になった。暁も、椋がバファローズから指名された直後[7]や、入団が決まった後の記者会見[8]に同席。以降も、春季キャンプなどの折に、2人揃って取材に応じている[9]。
ちなみに、椋が羽曳野ボーイズに所属していた時期のNPBオフシーズンには、椋の練習相手を務めていた[9]。椋は、バファローズへの入団後も、1年目から一軍へ昇格。そのため、昇格中の試合前練習でも、椋を相手に投げている[10]。もっとも、椋は暁の現役引退後に出生したため、暁の現役時代については当時の写真を通じてしか知らないという[7]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1991 | 近鉄 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 1.000 | ---- | 1.000 |
1996 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
通算:2年 | 3 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .500 | .000 | .500 |
記録
[編集]- 初出場:1991年4月7日、対日本ハムファイターズ2回戦(藤井寺球場)、7回表に二塁手として出場
- 初打席:1991年5月4日、対西武ライオンズ4回戦(西武ライオンズ球場)、9回表に中根仁の代打として出場、潮崎哲也から四球
背番号
[編集]- 51 (1989年 - 1996年)
- 117 (1997年 - 2004年)
- 107 (2005年 - )
脚注
[編集]- ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、104ページ
- ^ “オリックス外れ1位太田「父と同じ職場で喜びも」”. スポーツニッポン (2018年10月25日). 2019年3月9日閲覧。
- ^ '95スポニチプロ野球手帳 スポーツニッポン新聞社
- ^ a b “オリックス1位・太田椋 父から受け継いだ選球眼と一流選手の長所(2)”. 日刊ゲンダイ (2018年11月17日). 2019年3月9日閲覧。
- ^ “根尾&小園に「負けてはいけない」。オリックスのドラフト1位太田椋の自信と父の夢。(3)”. NumberWeb (2019年1月11日). 2019年3月9日閲覧。
- ^ “オリックス 西村監督 1位太田に期待「一番の補強ポイントだった」”. スポーツニッポン (2018年10月25日). 2019年3月9日閲覧。
- ^ a b “オリックス1位・太田は“超異例”親子鷹 父はチームの打撃投手「とてもうれしい」”. スポーツニッポン (2018年10月25日). 2019年3月9日閲覧。
- ^ “ドラフト1位・太田「吉田と対戦したい」 オリックス、新入団選手発表”. サンケイスポーツ (2018年12月15日). 2019年3月9日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b “オリックス1位太田が父の暁氏と負傷0願い恵方巻き”. 日刊スポーツ (2019年2月3日). 2019年3月9日閲覧。
- ^ “オリックス1位太田が初出場、試合前に親子対決実現”. 日刊スポーツ (2019年9月14日). 2019年10月19日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 太田暁 - NPB.jp 日本野球機構