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太田屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社太田屋
OHTAYA Corp.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
392-0015
長野県諏訪市中洲5723-3
本店所在地 394-0028
長野県岡谷市本町3-10-1
設立 1968年5月
業種 サービス業
法人番号 6100001019370 ウィキデータを編集
事業内容 葬祭業・小売業・サービス業
代表者 代表取締役 太田博久
資本金 4,000万円
売上高 29億7500万円(2015年4月)[1]
従業員数 165名[1]
決算期 4月
外部リンク https://www.ohtaya.co.jp/
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株式会社太田屋(おおたや)は、長野県に展開する仏壇墓石販売、葬祭生活雑貨ギフトなどの事業を行う企業。創業当初は個人経営の葬儀店であったが、徐々に隣接分野に事業を拡大し、日常から非日常まで、生活の各局面に対応する事業を持つことから、「生活応援企業」を名乗る。

設立初期からCM展開を行ったことから地元での知名度は高く、長野県人の特徴として「信濃の国を歌える」とともに「仏壇は太田屋」が挙げられたこともある[2]。葬祭部門は日本儀礼文化調査協会の格付けで5つ星を獲得しており[3]、地区内でのシェアは7割を超える[1]

沿革

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太田屋の起源は1925年に岡谷市で創業した「太田屋造花店」に遡る[注釈 1]。創業者の太田貞治は食料品や雑貨、タクシーなどさまざまな事業を手がけた人物で、この店もそうした事業の一つであった。店は造花店とは言いながら、葬儀における花環の設営が主体で、実質は葬祭業であった[5]

1961年、太田貞治が脳溢血で倒れ、東京で証券会社に就職したばかりであった末子の太田六也が後を継ぐことになった[4]。1968年には事業を法人化したが、当時は従業員4名、花環を荷車に積んで設営に行く零細事業であった。葬儀は隣接する諏訪市においても慣習が異なり、葬祭業だけでは拡大の余地が少ないことから、1972年に仏壇販売に進出した[5]。仏壇販売においてはテレビ、ラジオ、新聞で大規模な宣伝を行い、新聞広告は1973年に信濃毎日新聞広告賞の最優秀賞を受賞した[6]

さらに墓石へと事業を多角化した。仏壇店の多店舗展開も進み、1995年には10店目となる徳間店を長野市に開店した[7]。しかし仏壇という製品の特性上、拡大には限界があるという判断から、創立事業である葬祭業を再度強化していくことになった[8]。1998年、諏訪市東洋バルヴの跡地を市の仲介で取得し[9]、同社初の葬祭施設「えこうホール諏訪」を開館した。施設は和食レストランを併設し、ホールでの葬祭の際にはレストランの専門調理人が調理にあたることを訴求点とした。開館にあたっては地元の葬儀業者と提携、2社合わせて90%以上となる諏訪市内の葬儀施行シェアを、提携会社が一手に引き受けることになった[10][11]

2000年にはえこうホール諏訪に隣接する東洋バルヴの跡地を追加取得[12]、飲食店、多目的ホール、雑貨店、ギャラリーなどからなる複合施設の建設に着手した。投資総額16億円、施設はすべて直営で、職員150人は全員新規採用するという大規模投資で[13]、2001年10月に開業、諏訪ふれあい広場と名付けられた[4]。一方岡谷でも身近な場所への会館設置を求める声があったことから、岡谷に近い下諏訪町で元は家電量販店であった建物を改装し、2箇所目の葬祭施設「えこうホール赤砂」を開館した[14][15]。2006年にはその近隣に「えこうホールみずべ」を開館した。

2009年、太田六也の長男の太田博久が社長に就任し、太田六也は会長に退いた[16]。社長交代後も拡大は続き、2012年11月にはえこうホール諏訪の近隣に小規模葬に対応する「えこうホール諏訪やすらぎ館」を開館した[17]。2014年には岡谷で個人が経営していたホールを引き継ぎ、創業の地である岡谷でもホールを運営することになった[18]

事業内容

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  • 仏壇墓石事業部
    仏壇・仏具の販売、墓石販売/霊園開発・墓地造成。
    • 松本本店
    • 岡谷本町店
    • 諏訪店
    • イオンモール佐久平店
    • やすらぎ館長野柳原店
    • 長野大橋店
    • 伊那西春近店[22]
  • 葬祭事業部
    葬儀受注・施行/法要受注・施行/メモリアルステージ運営。
    • えこうホール諏訪
    • えこうホール諏訪やすらぎ館
    • えこうホール赤砂
    • えこうホールみずべ
    • えこうホール岡谷さくら館
  • ふれあい広場
生活雑貨店/ギフト販売。
  • りんごの会 : 太田屋が運営する諏訪地域エリアの会員組織[23]。会のキャラクター「りんごちゃん」のデザインはイラストレーターの小平陽子[24]

脚注

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注釈

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  1. ^ 「太田屋葬儀店」という名だったとする文献もある[4]
  2. ^ オープンは4月1日だとする文献もある[10]

出典

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  1. ^ a b c 『平成28年版 東商信用録 中部版』東京商工リサーチ名古屋支社、2016年、1113ページ。ISBN 978-4-86591-150-3
  2. ^ 永浜敬子『いなかもんの踏絵』ぺんぎん書房、2004年、82-85ページ。ISBN 4-901978-20-9
  3. ^ a b 「太田屋が葬儀格付けで「五つ星」」『信濃毎日新聞』2003年(平成15年)5月23日付19面(諏訪)。
  4. ^ a b c 「仏壇店の企業戦略 生活応援企業のコンセプト打ち出し複合商業施設「諏訪ふれあい広場」を開業 株式会社太田屋(長野県)」『仏事』第1巻第7号、鎌倉新書、2001年12月、8-11ページ。
  5. ^ a b 「業界創生人 KEY PERSON 太田博久氏 (株)太田屋代表取締役社長」『フューネラルビジネス』第21巻第6号、綜合ユニコム、2016年6月、4-7ページ。
  6. ^ 大木英男「新分野、次の一手 第4回 (株)太田屋」『経済月報』第243号、長野経済研究所、2004年7月、14-19ページ。
  7. ^ 「太田屋徳間店オープン」『信濃毎日新聞』1995年(平成7年)12月2日付34面。
  8. ^ 「会社を変える新生社長の挑戦 第7回 太田博久 (株)太田屋代表取締役社長 既定路線のなかで改革着手」『フューネラルビジネス』第14巻第9号、綜合ユニコム、2009年9月、66-67ページ。
  9. ^ 『信濃毎日新聞』1997年6月5日付27面(諏訪)。
  10. ^ a b 「VISUAL REPORT メモリアルステージ えこうホール諏訪(長野県諏訪市)」『フューネラルビジネス』第18号、綜合ユニコム、1998年5月、39-43ページ。
  11. ^ 「太田屋とツカモト造花が業務提携を開始」『フューネラルビジネス』第17号、綜合ユニコム、1998年4月、24ページ。
  12. ^ 「諏訪市の企業用団地造成 最終区画の売却決定 太田屋が複合施設建設 新規雇用に期待」『信濃毎日新聞』2000年(平成12年)5月19日付朝刊18面(諏訪)。
  13. ^ 「飲食・多目的ホール・雑貨販売 諏訪市に複合施設 太田屋、10月オープン」『信濃毎日新聞』2001年(平成13年)3月24日付22面(諏訪)。
  14. ^ 「新規会館 長野の太田屋が「えこうホール赤砂」をオープン」『フューネラルビジネス』第80号、綜合ユニコム、2003年7月、24ページ。
  15. ^ 「Visual Report メモリアルステージ えこうホール赤砂 長野県下諏訪町」『フューネラルビジネス』第81号、綜合ユニコム、2003年8月、50-53ページ。
  16. ^ 「太田博久氏が代表取締役社長に就任」『宗教工芸新聞』第288号、平成21年5月、2面。
  17. ^ 「新規会館 長野・太田屋、自社会館近接地に家族葬会館をオープン」『フューネラルビジネス』第18巻第3号、綜合ユニコム、2013年3月、50ページ。
  18. ^ 「太田屋が岡谷市でホール営業開始」『信濃毎日新聞』2014年(平成26年)11月13日付21面(諏訪)。
  19. ^ a b c d e f g h 会社案内”. 株式会社太田屋. 2017年3月17日閲覧。
  20. ^ 「セレモニーホール完成」『信濃毎日新聞』1998年(平成10年)3月28日付朝刊27面(諏訪)。
  21. ^ 「「商業、飲食、文化」複合施設 ふれあい広場オープン 諏訪」『長野日報』2001年(平成13年)10月23日付2面。
  22. ^ 店舗一覧は「仏事コーディネーター資格取得者を訪ねて 太田屋(長野) 「スタッフのスキルアップ教育に活用」」『宗教工芸新聞』第344号、平成26年1月、30面による。
  23. ^ 太田屋ホームページ
  24. ^ Yoko Kodaira Web site – 小平 陽子

外部リンク

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