太田哲三 (陶芸家)
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太田 哲三(おおた てつぞう、1950年7月15日 - )は、陶芸家。
経歴
[編集]陶芸家・太田熊雄の三男として福岡県朝倉郡小石原村(現・東峰村)に生まれ、幼い頃から父や職人の仕事を見て育つ[1]。1969年、佐賀県立有田工業高等学校窯業科卒業、父・熊雄に師事[2]。1975年、小石原南の原に分家築窯。刷毛目、飛び鉋、櫛掻き[3]、指描、打掛けなどの技法を用い、小石原焼の窯元のひとつとして作陶を行っている。
小石原焼陶器協同組合理事長を務める。 福岡県美術協会員、福岡県陶芸作家協会員、日本民芸協会員。長男の太田圭は陶芸家、次男の太田潤は吹き硝子作家。
参考文献
[編集]- SML 『最高に美しいうつわ』 エクスナレッジ、2013年、p52-p53。
- 「column ギャラリー散歩」『手の間』第7号、2009年4月。
- 「小石原焼 太田哲三・圭窯」『民芸のある暮し 手しごと』 2015年2月16日閲覧。
脚注
[編集]- ^ “小石原焼=太田窯/太田哲三さん”. littlepress. 2015年2月16日閲覧。
- ^ 濱田庄司に弟子入りをする予定だったが、濱田より父・熊雄の元で学ぶようにと促され、以来独立まで熊雄の元で修行。(“小石原焼太田哲三窯(福岡)”. みんげい おくむら. 2015年2月16日閲覧。)
- ^ 櫛掻きは、一般的に木の櫛をノコギリの目のようにして化粧掛けした土の上に掻き落として模様をつける技法を指すが、かなり深く彫れて柔らかさが出ない。太田は、タイヤのゴムを切り取り、それをノコギリのように目立てて化粧土の上で掻くことによって柔らみのある櫛掻きができるよう、独自の工夫を行っている。(“小石原焼の太田ファミリー”. 手仕事フォーラム. 2015年2月16日閲覧。)