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太田公秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
太田 公秀
生誕 1899年2月10日
日本の旗 日本 東京府
死没 (1987-03-19) 1987年3月19日(88歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1920年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
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太田 公秀(おおた ただひで[1]1899年明治32年)2月10日[2] - 1987年昭和62年)3月19日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[1]

経歴

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1899年(明治32年)に東京府で生まれた[2]陸軍士官学校第32期[2]陸軍大学校第39期[2]東京帝国大学政治学科卒業[1]1939年(昭和14年)8月に第27師団参謀長に就任し[1]日中戦争に出動[2]1940年(昭和15年)8月1日陸軍歩兵大佐に進級[1]。同年10月22日第6軍高級参謀に転じ[1]1941年(昭和16年)9月に陸軍大学校教官[1]1942年(昭和17年)10月に留守第3師団参謀長と歴任[1]1943年(昭和18年)6月10日第43師団参謀長に転じ[1]10月15日陸軍燃料廠廠員[1]1944年(昭和19年)3月1日北スマトラ燃料工廠長を歴任し[1]太平洋戦争に出征。

1945年(昭和20年)3月1日に陸軍少将進級[1]東部軍管区司令部附を経て、5月5日陸軍歩兵学校附となる[3]6月1日には第50軍参謀長に着任し[2]青森県本土決戦に備える中で終戦を迎えた[2]

脚注

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参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026