大駱駝艦
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この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2016年4月) |
概要
[編集]1972年、麿赤兒を中心に結成。1980年前後、北方舞踏派、背火、山海塾、白虎社、ダンス・ラブマシーンなどに分派する。1982年、『海印の馬』でアメリカン・ダンス・フェスティバル、アヴィニヨン・フェスティバルに参加、アメリカで舞踏への関心が高まる。「この世に生を受けたことこそ大いなる才能」とする天賦典式をその様式に具現し、忘れ去られた身振り、手振りを多く取り込み、再構築するパフォーマンスで注目を集める。2013年現在で、60を超える作品を上演。常に若手舞踏手育成に注力し、麿赤兒の基本的な考えである「一人一派」を実践する。吉祥寺を拠点に、スタジオ「壺中天(こちゅうてん)」にて、メンバーによる種々のユニット作品を上演。壺中天公演と称して国内外で公演を続けるなど活躍する[1]。
特に、男性数名と女性数名で構成される集団ユニット「ゴールデンズ」が行う、ほぼ全裸で体中に金粉を塗って踊る「金粉ショー」はその特異さで注目を集め、「大須大道町人祭」や「高円寺びっくり大道芸」などにも出演し、各地で公演を行っている[1]([1]2015年の途中から女性はトップレスでなくビスチェ〈上着〉着用に)。
その他、一般人を対象にしたワークショップ「無尽塾(むじんじゅく)」を主催し、夏季には、長野県白馬村において合宿を行っている[1]。
略歴
[編集]- 1972年、麿赤兒を主宰とし創設[1]。
- 1974年、舞踊批評家協会賞受賞[1]。
- 1982年、舞踏カンパニーとしては、初めてアメリカ、フランスで公演を行い、鮮烈な印象を与え、「Butoh」を浸透させる[1]。
- 1987年、舞踊批評家協会賞受賞[1]。
- 1996年、舞踊批評家協会賞受賞[1]。
- 1999年、舞踊批評家協会賞受賞[1]。
- 2007年、舞踊批評家協会賞受賞[1]。
主な公演
[編集]- 『Dance 桃杏マシン』1972年
- 『陽物神譚』
- 『皇大睾丸』
- 『男肉物語』
- 『嵐』
- 『海印の馬』1982年