大雅アキラ
基本情報 | |
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本名 | 佐藤 晃 |
階級 | ジュニアバンタム級 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1974年9月5日 |
出身地 | 岩手県北上市 |
死没日 | 1997年10月19日(23歳没) |
スタイル | 左ボクサーファイター |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 17 |
勝ち | 13 |
KO勝ち | 5 |
敗け | 2 |
引き分け | 2 |
大雅 アキラ(たいが アキラ、男性、1974年9月5日 - 1997年10月19日)は、日本のプロボクサー。本名は佐藤 晃(さとう あきら)。岩手県北上市出身。協栄ボクシングジム所属。黒沢尻工業高等学校卒業。[文献1- 1]
来歴
[編集]1992年、第46回インターハイでバンタム級5位、べにばな国体少年の部にフライ級優勝[文献1- 1]などの成績を収め、第45回岩手日報体育賞を受賞した。[1]
1993年5月24日、本名でプロデビュー戦を行い、初回KO勝利を収めた。同年8月16日、松倉義明(宮田)に4R判定負けを喫した。
1994年11月4日、東日本ジュニアバンタム級新人王トーナメント準決勝で大和心(帝拳)に4R判定勝利を収めた。同年12月17日、小林昭司(国際)に引き分け、勝者扱いで東日本ジュニアバンタム級新人王を獲得した。翌1995年2月18日、村上勇(三津山)に2RKO勝利を収め、全日本ジュニアバンタム級新人王を獲得した。続く5月14日の故郷凱旋試合よりリングネームを大雅アキラと改めた。
1997年10月13日、守部厚希(江坂)が返上して空位となった日本ジュニアバンタム級王座を、同2位として、1位松倉義明と決定戦で争い、7R2分25秒KO負けとなった。[文献2- 1] この直後、頭蓋内出血によりリング上で失った意識を回復することなく、同月19日に死去した(リング禍)。[文献1- 2][文献2- 2] 本来、この王座は同年6月に松倉と名護明彦とで争われるはずであったが、名護の頬骨骨折による欠場を受け、大雅が出場していた。[文献2- 3]
獲得タイトル
[編集]- 第47回国体少年の部フライ級優勝
- 第51回東日本ジュニアバンタム級新人王
- 第41回全日本ジュニアバンタム級新人王
参考文献
[編集]- ^ 岩手日報文化賞・体育賞 岩手日報 Web News
『日本ボクシング年鑑2005』 ボクシング・マガジン編集部編、日本ボクシングコミッション/日本プロボクシング協会協力、ベースボール・マガジン社、2005年4月30日 ISBN 4-583-03849-6
『ワールド・ボクシング』4月号増刊、日本スポーツ出版社、1998年4月10日 共通雑誌コードT1109804040751 雑誌09804-4