大阪市立中道小学校
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大阪市立中道小学校 | |
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北緯34度40分20.8秒 東経135度32分16.5秒 / 北緯34.672444度 東経135.537917度座標: 北緯34度40分20.8秒 東経135度32分16.5秒 / 北緯34.672444度 東経135.537917度 | |
過去の名称 |
東成郡中本第二尋常小学校 大阪市中本第二尋常小学校 大阪市中道尋常小学校 大阪市中道国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪市 |
設立年月日 | 1915年6月23日 |
創立者 | 東成郡中本村 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B127210001384 |
所在地 | 〒537-0023 |
外部リンク | http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=e661452 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大阪市立中道小学校(おおさかしりつ なかみちしょうがっこう)は、大阪府大阪市東成区にある公立小学校。
時間割を年間4期制にする独自の工夫をおこなっている。また陶芸活動や英語活動にも力を入れている。
沿革
[編集]1915年に東成郡中本第二尋常小学校として、中本第一尋常小学校(現在の大阪市立中本小学校)から分離して開校した。創立当初は、同一校区(当時の東成郡中本村)内で中本第一小学校を男子校・中本第二小学校を女子校としていたが、1918年には校区を分離して男女共学とした。
- 1915年6月23日 - 東成郡中本第二尋常小学校として創立。当初は女子校。
- 1917年4月 - 中本第一小学校と校区を分離し、男女共学とする。
- 1925年4月1日 - 中本村が大阪市に編入されたことに伴い、大阪市中本第二尋常小学校と改称。
- 1934年9月21日 - 室戸台風で校舎倒壊、逃げ遅れた児童約30人のうち8人が死亡[1]。
- 1940年9月1日 - 大阪市中道尋常小学校と改称。
- 1941年4月1日 - 国民学校令により、大阪市中道国民学校と改称。
- 1944年9月10日 - 奈良県宇陀郡大宇陀町(現在の宇陀市)に集団疎開。
- 1945年6月15日 - 空襲で校舎被災。
- 1947年4月1日 - 学制改革により、大阪市立中道小学校に改称。
通学区域
[編集]- 大阪市東成区 玉津1丁目(全域)、玉津2丁目(一部)、東小橋1丁目(一部)。
- 卒業生は大阪市立玉津中学校に進学する。
交通
[編集]脚注
[編集]- ^ 小学校の倒壊相つぎ学童ら多数死傷『大阪毎日新聞』昭和9年9月21日号外(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p228 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)