大長寺 (大阪市)
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所在地 | 大阪府大阪市都島区中野町2-1-14 |
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位置 | 北緯34度41分54.71秒 東経135度31分35.37秒 / 北緯34.6985306度 東経135.5264917度座標: 北緯34度41分54.71秒 東経135度31分35.37秒 / 北緯34.6985306度 東経135.5264917度 |
山号 | 川向山 |
院号 | 普照光院 |
宗旨 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 慶長10年(1605年) |
開基 | 佐々木高久 |
正式名 | 川向山普照光院大長寺 |
札所等 | 大阪新四十八願所第7番 |
法人番号 | 7120005001405 |
大長寺(だいちょうじ)は、大阪市都島区中野町[1]にある浄土宗の寺院。
概要
[編集]慶長10年(1605年)、毛利輝元の一族である佐々木高久が外祖父の毛利定春の冥福を祈って建立[2][3]。
浄瑠璃「心中天網島」の主人公である小春・治兵衛の比翼塚がある[2]。享保5年(1720年)10月14日、妻子ある紙屋治兵衛と遊女の小春が網島の同寺で心中するという事件が起こった[4][5]。その事件を元に近松門左衛門が2か月後の12月に書き下ろしたのが同作品である[5]。以来大長寺は小春・治兵衛ゆかりの地として知られる様になった[2][6]。
江戸時代は現在地より約500m南の現在藤田美術館のある場所一帯にあった[7]が、明治42年(1909年)、実業家の藤田伝三郎により、大長寺のあった土地は邸宅用地として買収され[7]、藤田家の寄進により、同寺は現在地に移転し[2][3]、その際比翼塚も移築された[7]。
1945年(昭和20年)6月7日の第3回大阪大空襲により本堂は焼失[2][3]。1971年(昭和46年)に再建されるまで仮本堂であった[2][3]。
寺宝
[編集]交通アクセス
[編集]大阪シティバス 東野田停留所より北へ約100メートル
脚注
[編集]- ^ 東成郡中野村、都島村中野
- ^ a b c d e f g 『全国寺院名鑑 近畿篇』(改定第3版)全日本仏教会、寺院名鑑刊行会、1973年、187p頁。
- ^ a b c d 大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 / 第7番「大長寺」. 大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 公式ホームページ.2015年5月9日閲覧
- ^ a b 新関西笑談 再発見大阪をあそぶ.『産経新聞』.2009年11月27日付夕刊、5面
- ^ a b 豊竹咲大夫 51年ぶり一人通し 生誕360年 近松門左衛門の最高傑作「心中天網島」.『産経新聞』.2013年5月12日付朝刊、11面
- ^ 16日から「名作・心中天網島―」 市民講座参加者を募集.『産経新聞』.2011年11月9日付朝刊、22面
- ^ a b c “55.大長寺(だいちょうじ)”. 大阪市ホームページ. 2015年5月9日閲覧。
参考文献
[編集]- 『全国寺院名鑑 近畿篇』(改定第3)全日本仏教会、寺院名鑑刊行会、1973年。