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木挽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大鋸引から転送)
江戸時代後期の「木挽」たちの仕事姿(葛飾北斎富嶽三十六景』より「遠江山中」、1830年ころ)。
北斎の別作品、1839年。
室町時代、大鋸による製材作業

木挽、または木挽き(こびき)は、木材を「大鋸」(おが/おおが)を使用して挽き切ること、およびそれを職業とする者[1][2]大鋸挽大鋸挽き(おがひき)とも呼ぶ[3][4]。15世紀末の資料には、「大鋸」を「おおのこ」と読み「大のこひき」(おおのこひき、大鋸引)と表記する場合もあった[5]。現在の製材、および製材作業者で、かつ卓越した木材の鑑定能力[6]をもつ職能集団を指す。

略歴・概要

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奈良時代(8世紀)、国と寺社が建築物の造営・修理のための木材を確保することを目的に「」として山林を指定、これを切り出す杣工とともに、大木を製材する「木挽」(大鋸挽)が出現した[7][8]

「木挽」の歴史において「大鋸」が登場するのは、14世紀 - 15世紀室町時代に中国から導入されたときのことであり、これによって生産能率が飛躍的に上昇した[9][10]。長さが約2メートルあり、2人がかりで左右あるいは上下から縦挽きに挽いて、木材を切る[9]。「大鋸」以前ののこぎりは、木の葉形をした横挽き式のものであった[9]

15世紀末の1494年(明応3年)に編纂された『三十二番職人歌合』の冒頭には、「いやしき身なる者」として、「石切」とともに「大のこひき」[5]、あるいは「大がひき」として紹介され、2人がかりで挽く姿が描かれている[5][11][12]。この歌合に載せられた歌は、

  • 大がひき 杣板は世に出でながら哀れ身の おがひきこもる山住ぞうき

というもので、杣板は産地を出て広い世界に流通していくが、それを切り出す「大鋸挽」自身は山に引きこもっていないければならないことが憂鬱である、と詠まれた[11]。同職人歌合に「職人」として紹介された職能は、その後の時代にあっても賎視されたものが多々あったが、手工業者層が全国的な広がりを見せた16世紀以降の日本にあって、「大鋸挽」「木挽」は手工業者を意味する新しい意味での「職人」[13]に位置づけられた。

江戸時代初期、17世紀初頭の江戸では、江戸城造営に際して、現在の東京都中央区銀座1丁目から同8丁目までの三十間堀川築地川との間の地区に「木挽」たちを居住させた[14][15]。同地域が「木挽町」と呼ばれるのはこのことに由来し、1951年(昭和26年)に「銀座東」と改称するまで町名として残った[14][15]。このころには「大鋸」にイノヴェーションが起き、「前挽き大鋸」が開発され、1人で挽くことができるようになった[10]

江戸時代後期、19世紀初頭、鍬形蕙斎が『近世職人尽絵巻』に「木挽」たちの仕事姿を描き[16]、同作を参考に、1831年(天保2年)ころ、葛飾北斎が『富嶽三十六景』の「遠江山中」として、遠江国(現在の静岡県大井川以西地域)の山中における「木挽」たちの仕事姿を描いている[17]。この「木挽」たちが使用しているものが、1人で挽くことができる「前挽き大鋸」である。

明治時代以降には、機械での製材が導入され始めるが、手作業での製材作業および作業者は、引き続き「木挽」と呼ばれた[18]

かつて「木挽町」という町名であり「木挽」たちが居住した東京都中央区銀座の旧木挽町地域では、足柄木材(銀座2丁目)、大西材木店(同3丁目)の2社が、2012年(平成24年)9月現在も材木商を営んでいる[19]

地名

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日本の地名にみられる「木挽」「大鋸」のおもなものである。

脚注

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  1. ^ 木挽きデジタル大辞泉コトバンク、2012年9月4日閲覧。
  2. ^ 木挽き大辞林 第三版、コトバンク、2012年9月4日閲覧。
  3. ^ 大鋸挽き、デジタル大辞泉、コトバンク、2012年9月4日閲覧。
  4. ^ 大鋸挽き、大辞林 第三版、コトバンク、2012年9月4日閲覧。
  5. ^ a b c 小山田ほか、p.142.
  6. ^ 聞き書 1985, pp. 200–201.
  7. ^ 機械挽製材発達の推移 木挽の起源和歌山木材協同組合、2012年9月4日閲覧。
  8. ^ 百科事典マイペディア『』 - コトバンク、2012年9月4日閲覧。
  9. ^ a b c 世界大百科事典 第2版『大鋸』 - コトバンク、2012年9月4日閲覧。
  10. ^ a b デジタル大辞泉『大鋸』 - コトバンク、2012年9月4日閲覧。
  11. ^ a b 大鋸引Yahoo!辞書、2012年9月4日閲覧。
  12. ^ "打割と挽割"二つの製材道具竹中大工道具館、2012年9月4日閲覧。
  13. ^ 百科事典マイペディア『職人』 - コトバンク、2012年9月4日閲覧。
  14. ^ a b 江戸の芝居小屋と木挽町歌舞伎座、2012年9月4日閲覧。
  15. ^ a b デジタル大辞泉『木挽町』 - コトバンク、2012年9月4日閲覧。
  16. ^ 近世職人尽絵巻東京国立博物館、2012年9月4日閲覧。
  17. ^ 冨嶽三十六景 遠江山中神奈川県立歴史博物館、2012年9月4日閲覧。
  18. ^ 古内、p.201.
  19. ^ 木材商 東京都 中央区BIGLOBE、2012年9月4日閲覧。

参考文献

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  • 『明治期能代木材産業史』、古内龍夫秋田文化出版、1994年
  • 『江戸時代の職人尽彫物絵の研究 - 長崎市松ノ森神社所蔵』、小山田了三本村猛能角和博大塚清吾東京電機大学出版局、1996年3月 ISBN 4501614307
  • 監修:伊藤ていじ、編集:東京印書館企画『聞き書・日本建築の手わざ 第2巻 (数寄屋の職人)』平凡社、1985年2月。ISBN 4-582-54402-9 

関連項目

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外部リンク

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