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大野順末

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大野順末

大野順末(おおの じゅんまつ、1877年明治10年)10月 - 1954年昭和29年)10月)は、日本の実業家、政治家。

初代大泊町町長、樺太銀行専務取締役。

経歴

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石川県江沼郡瀬越村(現在の加賀市大聖寺瀬越町)出身[1]。1877年(明治10年)10月本谷惣次郞の四男として生まれる。[1]

1897年(明治30年)大阪高等商業学校を卒業した[1]後北海道に渡り、小樽の板谷商船に入社する。数年後適齢と共に陸軍に入隊し、満期後も再役して陸軍二等主計となる。[2]

1906年(明治39年)に樺太へ渡島して商界に従事する。米穀雑貨酒造業を営み豊原に支店を構える[2]1911年(明治44年)に小樽に本店を設ける。[2]

樺太銀行専務取締役に就任[2]

山九大野商事株式会社を創立し代表社員を務め[2]、貿易業、物流業、運行業等を展開する。

大泊町会議長、大泊商工会議所会頭を兼任し、その後在郷軍人大泊支部管内総合会長に就任[2]する。

推薦の後、1922年大正11年)3月31日大泊町初代町長に就任[3]した。

その後、1925年(大正14年)6月、1929年(昭和4年)6月と、計三度に渡り町長を歴任[3]する。

人物

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貿易業、金融業、物流業などの事業を広く展開し、生涯樺太の商工産業の発展に尽力した人物として知られている。[3]

1925年(大正14年)、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が、樺太を訪問した際[4]には大泊町町長として直接出迎え、大泊町での行啓を共にした[5]

脚注

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  1. ^ a b c 大野順末 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2019年7月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 『樺太人物大観』敷香時報社、1931年。 
  3. ^ a b c 『樺太及樺太を担う人々』新興社、1932年。 
  4. ^ 「樺太」『Wikipedia』2019年6月25日。 
  5. ^ 『人物覚書帳』事業と人社、1936年。 

参考文献

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