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大野毅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大野 毅
名前
カタカナ オオノ タケシ
ラテン文字 ONO Takeshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1944-11-22) 1944年11月22日(79歳)[1]
選手情報
ポジション DF
ユース
1960-1962 日本の旗 城北高校
1963-1966 日本の旗 早稲田大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1967-1976 日本の旗 東洋工業 145 (5)
1977-? 日本の旗 マツダオート広島  ? (?)
通算 145 (5)
代表歴
1965-1971[2] 日本の旗 日本 3 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

大野 毅(おおの たけし、1944年11月22日 - )は、日本出身の元サッカー日本代表選手・指導者。

来歴

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城北高等学校早稲田大学第二商学部出身[3]。大学同期に、釜本邦茂森孝慈がいる。早稲田大学ア式蹴球部時代、DFとして第46回天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝に貢献した。

1967年、大学卒業後は東洋工業(現マツダ)に入社、東洋工業蹴球部(のちのマツダSC、サンフレッチェ広島)に所属した。今西和男丹羽洋介桑原弘之川野淳次国枝強らとフルバック(ディフェンダー)として、あるいはミッドフィールダーとして相手キーマンをマンマークした。また日本代表としても、国際Aマッチ3試合に出場した[2]

一線を退いたあとはマツダオート広島でリベロとしてプレーした。中国サッカーリーグでは1978年・1979年優勝を経験、第59回天皇杯全日本サッカー選手権大会2回戦では東洋工業との試合にも出場している[4]

サッカー指導者としては東洋工業での現役選手時代から活躍しており、当時指導した選手の一人に金田喜稔がいる[5]

現在はワセダクラブForza‘02の代表を務め、チームを日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会出場など強豪チームに仕立て上げ、小川諒也田邉草民野上結貴などを育てている。

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1967 東洋 JSL 11 -
1968 14 -
1969 -
1970 12 -
1971 - -
1972 JSL1部 -
1973
1974 -
1975 -
1976
1977 マツダ広島 中国
1978
1979
通算 日本 JSL1部 145 5 -
日本 中国
総通算 145 5 -

代表歴

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試合数

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  • 国際Aマッチ 3試合 0得点(1965-1971)[2]
  • 日本代表初出場:1965年3月25日 対シンガポール戦(シンガポール)[2]


日本代表国際Aマッチ その他期間通算
出場得点 出場得点出場得点
1965 1 0 0 0 1 0
1966 0 0 0 0 0 0
1967 0 0 0 0 0 0
1968 0 0 0 0 0 0
1969 0 0 0 0 0 0
1970 0 0 3 0 3 0
1971 2 0 14 0 16 0
通算 3 0 17 0 20 0

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 1965年03月25日 シンガポールの旗シンガポール  シンガポール ○4-1 長沼健 国際親善試合
2. 1971年07月28日 デンマークの旗コペンハーゲン  デンマーク ●2-3 岡野俊一郎 国際親善試合
3. 1971年08月13日 アイスランドの旗レイキャビク  アイスランド ○2-0 国際親善試合

脚注

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  1. ^ 『日本代表公式記録集2008』 日本サッカー協会、2008年、521頁。
  2. ^ a b c d “大野 毅”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_a/takeshi_ono.html 
  3. ^ 参加申込み”. 江東JFC. 2012年9月4日閲覧。
  4. ^ 『サッカーマガジン』 1980年2月25日号。
  5. ^ 「日本サッカー名蹴会 発足記念記者会見」開催”. 日本サッカー名蹴会. 2012年9月4日閲覧。

参考資料

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  • 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
  • 代表タイムライン - 日本サッカー協会

関連項目

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外部リンク

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