大野政吉
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大野 政吉(おおの まさきち、1884年(明治17年)4月 - 1970年(昭和45年))は、日本の技術者、実業家。旭硝子(現AGC)社長や、窯業協会会長を務めた。
人物・経歴
[編集]東京生まれ[1]。1906年東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科卒業、農商務省入省。1907年島田硝子製造所入社。1908年に旭硝子入社後、尼崎工場長、鶴見工場長、牧山工場長、技術課長、支配人、取締役等を務め[2][3]、日本初の窓ガラスの本格量産化を成功させた[2]。
1927年大日本窯業協会理事長[4]。旭硝子常務取締役を経て、山田三次郎会長が死去した1939年から旭硝子社長及び旭化学工業奨励会理事長を務めた[1][5]。
1941年日本光学工業取締役[6]。1942年化学工業統制会設立委員[7]。1944年高山耕山化学陶器社長[2]。1953年旭硝子顧問[2]。1960年窯業協会会長[4][8]。1967年勲三等旭日中綬章受章[9]。1970年日本セラミックス協会名誉会員[10]。同年従四位[11]。
脚注
[編集]- ^ a b 「財団60年のあゆみ」旭硝子財団
- ^ a b c d もうひとつの京焼 - 立命館大学アート・リサーチセンター
- ^ 大野政吉 (男性)人事興信録データベース(名古屋大学)
- ^ a b 歴代代表者日本セラミックス協会
- ^ 旭硝子(株)『社史』(1967.12)渋沢社史データベース
- ^ 日本光学工業(株)『50年の歩み』(1967.10)渋沢社史データベース
- ^ 化学工業統制会きょう、設立命令来月末迄に設立完了会員百三十二社大阪朝日新聞 1942.9.15 (昭和17)(神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 産業組合(9-212) )
- ^ 大野政吉, 黒田泰造, 山内俊吉 ほか, 「創立70周年を迎えて」『窯業協會誌』 69巻 790号 1961年 p.C345-C356, doi:10.2109/jcersj1950.69.790_C345。
- ^ 官報 本紙 第12267号 10頁
- ^ 公益社団法人日本セラミックス協会 名誉会員公益社団法人日本セラミックス協会
- ^ 官報 本紙 第13093号 18頁
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