大道寺繁殖
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝暦3年(1753年) |
死没 | 寛政10年6月19日(1798年8月1日) |
別名 | 隼人、綱之進(通称)、屠龍 |
墓所 | 弘前市の耕春山宗徳寺 |
主君 | 津軽信寧 |
藩 | 陸奥弘前藩 |
氏族 | 大道寺氏(隼人家) |
父母 | 大道寺一経 |
子 | 久繁 |
大道寺 繁殖(だいどうじ しげのり[要出典])は、江戸時代中期の弘前藩士。
生涯
[編集]安永元年(1772年)、家督750石を継いだ。寛政3年(1791年)には100石の加増を受け、家老となった。藩医・手塚玄通と政治を相談し、文学と経済を好んでいた。弘前藩の財政再建に尽力し、再建に成功した。このことは「寛政の善政」と褒め称えられた。
参考文献
[編集]- 「青森県人名大事典」[1]1969年、東奥日報社