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大道寺直聴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
大道寺直聴
時代 江戸時代中期
生誕 天和2年(1682年
死没 享保2年5月6日1717年6月14日
別名 隼人、源之助(通称
墓所 弘前市の耕春山宗徳寺
主君 津軽信政信寿
陸奥弘前藩
氏族 大道寺氏(隼人家)
父母 大道寺繁清
繁糺
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大道寺 直聴(だいどうじ なおのり[要出典])は、江戸時代中期の弘前藩士。

生涯

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元禄14年(1701年)、父・大道寺繁清から家督1300石を継ぎ、宝永5年(1708年)用人より家老へ昇格した。浅利伊兵衛より、当田流剣道の免許皆伝を受けた武人であった。

正徳4年(1714年)、弘前城内から出火した際には、城門は破壊して、駆けつけ鎮火したという。

参考文献

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  • 「青森県人名大事典」[1]1969年、東奥日報社

脚注

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  1. ^ 青森県人名大事典」『東奥日報社/国立国会図書館デジタルコレクション』352頁。