大道寺直聴
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 天和2年(1682年) |
死没 | 享保2年5月6日(1717年6月14日) |
別名 | 隼人、源之助(通称) |
墓所 | 弘前市の耕春山宗徳寺 |
主君 | 津軽信政→信寿 |
藩 | 陸奥弘前藩 |
氏族 | 大道寺氏(隼人家) |
父母 | 大道寺繁清 |
子 | 繁糺 |
大道寺 直聴(だいどうじ なおのり[要出典])は、江戸時代中期の弘前藩士。
生涯
[編集]元禄14年(1701年)、父・大道寺繁清から家督1300石を継ぎ、宝永5年(1708年)用人より家老へ昇格した。浅利伊兵衛より、当田流剣道の免許皆伝を受けた武人であった。
正徳4年(1714年)、弘前城内から出火した際には、城門は破壊して、駆けつけ鎮火したという。
参考文献
[編集]- 「青森県人名大事典」[1]1969年、東奥日報社