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大貫忠清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大貫 忠清(おおぬき ただきよ、1842年天保13年)- 没年不詳)は、日本の土木技師。静岡県士族、通称・伝入郎。

1874年(明治7年)に民部省土木少令史拝命。その後、愛知県十二等出仕、上新川県十一等出仕。

その後地理寮少属,鹿児島県七等属を経て、1880年(明治13年)7月に開拓使御用掛。1882年(明治15年)8月には、皇居造営事務局御用掛と建築掛土木方を拝命している。1883年(明治16年)7月被免。

参考文献

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  • 桑原稔氏「赤城南麓民家における平面と構造の年次的変遷について (No.1)-広間型について」質疑 城戸 久 日本建築学会構造系論文集 201(0), 94-95, 1972
  • 遠藤明久博士のご質疑に対する回答 小野木 重勝 日本建築学会構造系論文集 201(0), 93-94, 1972
  • 鈴木博之監修、内匠寮の人と作品刊行委員会編『皇室建築 内匠寮の人と作品』建築画報社、2005年。
  • 小沢朝江、「明治宮殿造営組織における図工の職務と就業状況」 『日本建築学会技術報告集』 2013年 19巻 42号 p.757-760, doi:10.3130/aijt.19.757
  • 小野木重勝、皇居造営機構と技術者構成 『日本建築学会論文報告集』 1972年 195巻 p.75-81,98, doi:10.3130/aijsaxx.195.0_75