大護八郎
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大護 八郎(だいご はちろう、1912年8月1日[1][2] - 2008年[3])は、日本の郷土史家。
経歴
[編集]埼玉県入間郡勝呂村(現坂戸市)生まれ[4][5]。1932年に埼玉県師範学校卒業[4][6]し、同年3月から所沢小学校訓導[7]となり、また1943年4月国際学友会日本語学校教授となる[7]。1945年に日本大学文理学部高師地歴科卒業[4]。1945年5月13日、埼玉県立川越高等学校で西洋史と社会科の教員となる[8]。 その後、1954年埼玉県教育局社会教育課文化財保護係長[6]、1961年同課課長補佐[6]を経て、1964年から埼玉県立文化会館館長[6][9]などを経て、1974年から埼玉県立博物館館長[10]。埼玉県文化財保護審議委員[4]なども歴任。
専門は考古学・民俗学、特に石造文化財研究。1977年、日本石仏協会を創設し、初代会長をつとめる[11]。
脚注
[編集]- ^ 大護八郎 1988
- ^ 日本著作権協議会 1957
- ^ 加藤和徳 2008
- ^ a b c d 大護八郎 1990
- ^ 讀賣新聞「この本この人「芝道」大護八郎さん:大正時代の田舎の生活再現」『讀賣新聞』1990年5月14日、東京朝刊、10面。
- ^ a b c d 日本官界情報社 1965
- ^ a b 人事興信所 1968
- ^ 埼玉県立川越高等学校 1948
- ^ 埼玉新聞編集局 1964
- ^ 署名なし 1974
- ^ 日本石仏協会 1977
参考文献
[編集]- 加藤和徳「大護八郎名誉会長を偲ぶ (特集大護八郎先生追悼)」『日本の石仏』第126号、日本石仏協会、2008年、32-34頁、NAID 40016132348。
- 埼玉県立川越高等学校 編「現職員一覧 昭和23年5月現在」『創立五十年記念誌』埼玉県立川越高等学校校友會、1948年、70頁。
- 埼玉新聞編集局 編『埼玉年鑑 昭和40年版』埼玉新聞社、1964年、246頁。 NCID BN11789590。
- 佐藤宗太郎; 大護八郎『石仏の美 第1 (庶民の願い)』木耳社、1967年。 NCID BN05882605。
- 署名なし「考古ニュース≪各地の人の動き≫」『月刊考古学ジャーナル』第95号、ニュー・サイエンス社、1974年、35頁、NCID BC1337263X。
- 人事興信所 編『人事興信録 第24版 下』人事興信所、1968年、た111頁。
- 大護八郎『茶の歴史:河越茶と狭山茶』川越叢書刊行会〈川越叢書第9巻〉、1957年。
- 大護八郎「編集に当たって」『埼玉生活文化史シリーズ 第1 (着物の歴史)』真珠書院、1967年、5-7頁。 NCID BN1259516X。
- 大護八郎「歴史と私」『歴史手帖』第16巻第10号、名著出版、1988年、3頁、NCID AN00338842。
- 大護八郎『芝道』言叢社、1990年。 NCID BN04891407。
- 日本官界情報社 編『日本官界名鑑 第17版』日本官界情報社、1965年、624頁。全国書誌番号:51003271。
- 日本石仏協会「日本石仏協会第1回理事名簿」『日本の石仏』第1号、日本石仏協会、1977年、93頁。
- 日本著作権協議会 編『文化人名録 昭和32年版 6版』日本著作権協議会、1957年、683頁。 NCID BA42724984。