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大西豊五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大西 豊五郎(おおにし とよごろう、生没年不詳)は、江戸時代後期の一揆指導者[1]

経歴・人物

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備前国上道郡神下村の人物。

安政3年(1856年)の備前岡山藩の国守・富原・竹田・二日市・神下村など[2]の被差別部落住民53団による強訴渋染一揆を指導[1]。『禁服訟歎難訴記』と呼ばれる嘆願書を藩主に提出し、触書を空文化させた[1][2]

脚注

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  1. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『大西豊五郎』 - コトバンク
  2. ^ a b 「嘆願書」(『禁服訟歎難訴記』「総連判」)、2018年10月24日閲覧。