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大西 豊五郎(おおにし とよごろう、生没年不詳)は、江戸時代後期の一揆指導者[1]。
備前国上道郡神下村の人物。
安政3年(1856年)の備前岡山藩の国守・富原・竹田・二日市・神下村など[2]の被差別部落住民53団による強訴・渋染一揆を指導[1]。『禁服訟歎難訴記』と呼ばれる嘆願書を藩主に提出し、触書を空文化させた[1][2]。