大聖寺の時鐘堂
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大聖寺の時鐘堂(だいしょうじのじしょうどう)は、石川県加賀市大聖寺本町にある鐘楼。
歴史
[編集]初代
[編集]江戸時代の大聖寺は加賀藩の支藩である大聖寺藩10万石の城下町だった。大聖寺藩2代藩主の前田利明によって、寛文7年(1667年)4月に初代の時鐘堂(鐘楼)が鋳造され、7月17日に撞初式が行われた[1]。加賀藩においてはまず承応元年(1652年)に金沢城下に時鐘が設置され[2]、その後小松、大聖寺、富山(支藩の富山藩)にも設置されている[3]。
当時の奉行は山田久左衛門であり、冶工は鳥居宗久である[1]。大聖寺藩士で儒学者でもあった河野通英が銘文を担っている[1]。なお、大聖寺の実性院の鐘楼もこの際に完成している[1][4]。初代の時鐘堂は3.6メートル四方であり、高さは5.7mあった[5]。
当初は大聖寺の本町にあったが、1883年(明治16年)の火災後に移設された[6]。1934年(昭和9年)9月9日の大聖寺大火では時鐘堂も焼失し、その後長らく再建されなかった[5]。
2代目
[編集]現在の時鐘堂は2003年(平成15年)に再建された2代目である[5]。NPO法人歴町センター大聖寺が主導し、約4000万円が投じられて再建された[7]。2002年(平成14年)4月に着工し、2003年(平成15年)4月20日に竣工式が行われた[7]。
建築
[編集]宝形の重層屋根を有し、本瓦葺である[8]。下層部は袴腰(板張)であり、基礎部は石積みである[8]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 大聖寺藩史編纂会『大聖寺藩史』大聖寺藩史編纂会、1938年、pp.52-55
- ^ 渡辺誠「加賀藩における時刻制度の改正」『北陸都市史学会誌』11号、2005年3月、p.34
- ^ 鈴木瑞麿「加賀藩と支藩の時の鐘 その設置と変遷」『北陸都市史学会誌』11号、2005年3月、p.32
- ^ 『石川県江沼郡誌』江沼郡、1925年、p.337
- ^ a b c “北国街道を歩く 其の参”. 大聖寺 十万石の城下町. 2021年4月4日閲覧。
- ^ 和田文次郎『江沼誌 加賀誌 第1編』松山書舗、1899年、p.20
- ^ a b 「時鐘堂が68年ぶり再建」北國新聞、2002年11月30日
- ^ a b “時鐘堂”. 石川県:歴史・観光・見所. 2021年4月4日閲覧。
参考文献
[編集]- 大聖寺藩史編纂会『大聖寺藩史』大聖寺藩史編纂会、1938年
外部リンク
[編集]- “北国街道を歩く 其の参”. 大聖寺 十万石の城下町. 2021年4月4日閲覧。
- “時鐘堂”. 石川県:歴史・観光・見所. 2021年4月4日閲覧。
座標: 北緯36度18分24.8秒 東経136度18分36.2秒 / 北緯36.306889度 東経136.310056度