コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

大神蘊麻呂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
大神蘊麻呂
時代 平安時代前期
生誕 不明
死没 不明
官位 正六位下 [1]
氏族 大神朝臣
父母 父:大神真守、母:酒井勝門主女[1]
兄弟 蘊麻呂、助雄、犬子
テンプレートを表示

大神 蘊麻呂(おおみわ の つみまろ)は、平安時代前期の神職朝臣大神真守の子。官位正六位下[1]

出自

[編集]

蘊麻呂は大神比義の末裔で、系図では大神比義-春麻呂-諸男-種麻呂-雄黒麻呂-家頼-宮次-真守-蘊麻呂と記される。家頼には家弘という兄がおり、家弘は小山田氏、家頼は祝氏として宇佐神宮に仕えたという[1]

概要

[編集]

豊前国宇佐郡の住人で、天長元年(824年)に、蘊麻呂の母に「菱形宮の西方の荒垣の外に隠れ居る神」が憑き、自身を祀るように要求したため、仁寿2年(852年)に若宮八幡神社を造営した。貞観5年(863年)には奉幣し、同11年(869年)には若宮八幡神社の大宮司となった[2]

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d 九州大学附属図書館「大神氏神官家系案[1]」(1943年)
  2. ^ 『八幡宇佐宮御託宣集[2]