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大石武士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大石 武士(おおいし たけし)は、日本の体育学者、駒澤大学名誉教授空手家日本空手協会首席師範補佐。

来歴

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長崎県生まれ。駒澤大学卒業[1]。 1971年、駒澤大学に着任。その後、同大学 総合教育研究部スポーツ・健康科学部門教授に就任。「生涯における健康とスポーツ」について、熱心に学生の指導に当たった。保健体育部時代には部長を務めた。また、空手道部の師範として、数々の大会で成績を残す。2011年に定年退職、名誉教授。退官後も、国内外から空手道指導を行う[2]

選手としては、空手道全国大会で三連覇(1969~1971年)という偉業を成し遂げ、この記録はギネスブックにも認定される。

公益社団法人日本空手協会首席師範補佐、空手九段。日本空手協会理事、全空連評議員、関東学生空手道連盟相談役国士館大学空手道部師範などを歴任[3]

主な戦績

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  • 1967年 全国選手権大会 成年男子組手 2位
  • 1968年 第1回世界選手権大会 成年男子組手 優勝(於メキシコ)
  • 1969年 全国選手権大会 成年男子組手 優勝
  • 1970年 全国選手権大会 成年男子組手 優勝
  • 1971年 全国選手権大会 成年男子組手 優勝[4]
  • 1973年 全国選手権大会 成年男子組手 優勝[5][6]

家族

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長男の大石宗伯は、明徳中学校・高等学校(現:明徳義塾中学校・高等学校)空手道部にして平成元年インターハイ団体組手優勝

団体の先鋒を務めた強者。

その後父が師範の駒沢大学空手道部へと進学

卒業後車関係の会社員を経て、武士の推薦により1996年に母校の空手道部の監督を務めている。

2022年には宗伯の部員への常習的な暴力による支配と、骨折での病院への通院不許可などの行為を部員が告発している。


これについて武士は「うさぎ跳びを1000回ですか。いくらなんでもそんなにやらせないでしょう。私は何も聞いていません。(宗伯氏には)暴力ではなく、口で指導しろと話しています」と宗徳の行為を把握していなかったという[7]

時代がそうさせたのか

本来空手とは忍耐と努力である

いちいち叩かれた何されたと騒ぐぐらいならはじめから全寮制などにいれさせるなと考える卒業生は多いという

著書

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出典

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