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大石村 (滋賀県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おおいしむら
大石村
廃止日 1951年4月1日
廃止理由 編入合併
滋賀郡坂本村下阪本村雄琴村栗太郡大石村下田上村大津市
現在の自治体 大津市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 滋賀県
栗太郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,294
国勢調査1950年
隣接自治体 滋賀県
大津市
栗太郡下田上村
甲賀郡信楽町朝宮村
京都府
宇治市
綴喜郡宇治田原村
大石村役場
所在地 滋賀県栗太郡大石村大字大石中[1]
座標 北緯34度54分37秒 東経135度54分47秒 / 北緯34.91019度 東経135.91306度 / 34.91019; 135.91306 (大石村)座標: 北緯34度54分37秒 東経135度54分47秒 / 北緯34.91019度 東経135.91306度 / 34.91019; 135.91306 (大石村)
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大石村(おおいしむら)は、滋賀県栗太郡にあった。現在の大津市大石各町にあたる。

地理

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村域の大部分は標高200–400 mの山地や丘陵で占められる[2]。河川はいずれも深い谷を形成しており、平野は瀬田川、信楽川、大石川の合流部にわずかに見られるのみである[2]

  • 山岳:花立ノ峰、猪背山、八筈ヶ岳、笹間ヶ岳
  • 河川:瀬田川、信楽川、大石川

歴史

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大津市への編入

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昭和初期に大津市の都市計画が膳所町石山町瀬田町滋賀村坂本村下阪本村を含む区域で策定され、その実現のために大津市、滋賀村、膳所町、石山町の合併が行われた[3]。大津市の都市構想は1950年(昭和25年)12月に拡大され、大石村は下田上村上田上村雄琴村とともにこの都市構想の中に組み入れられた[3]。他村では合併に反対する動きがあったが、大石村は大津市との繋がりが強かったことから合併に積極的で、1951年2月27日に村会で大津市との合併を決議した[4]。最終的に大津市、坂本村、下阪本村、雄琴村、大石村、下田上村での合併に落ち着き、3月26日付で滋賀県から合併が許可された後、大石村では3月29日に解村式が行われた[5]。3月31日に合併調印式が行われ、1951年4月1日付で大石村は大津市に編入された[5]

年表

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産業

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茶業が盛んであった[6]。大石村域での茶業は江戸時代から行われていたが、明治初期に茶が海外輸出品となってから生産が拡大された[6]。1902年(明治35年)時点では397戸のうち200戸超が茶業に関わっていたという[6]

大字

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大字曾束、大字小田原、大字龍門、大字淀、大字大石中、大字東、大字富川の6つの大字を置いた。大津市への編入後の1951年7月15日に町の設置が行われ、6大字はそれぞれ大石曾束町、大石小田原町、大石龍門町、大石淀町、大石中町、大石東町、大石富川町となった[7]

脚注

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参考文献

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  • 滋賀県栗太郡役所 編『近江栗太郡志』 2巻、滋賀県栗太郡役所、1926年6月30日。doi:10.11501/1020248 
  • 角川日本地名大辞典 25 滋賀県
  • 林屋辰三郎、飛鳥井雅道、森谷尅久 編『新修大津市史』 6巻《現代》、大津市役所、1983年8月7日。doi:10.11501/9539161 
  • 林屋辰三郎、飛鳥井雅道、森谷尅久 編『新修大津市史』 9巻《南部地域》、大津市役所、1986年11月29日。doi:10.11501/9540265 

関連項目

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