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大石昌史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大石 昌史(おおいしまさし、1958年11月7日[要出典] - 2015年12月22日[1][リンク切れ])は日本の美学研究者、慶應義塾大学文学部教授(美学美術史学専攻)[2][3]静岡県浜松市出身[4]

専門は美学、芸術学、特にニーチェ美学であるが、近年は日本の美学にも関心を持ち、もののあはれや余情の美学について論究した。また日本的美意識に関する行為と場の論理構造についての発表もある。カロノロジアやエコエティカを提唱した哲学者、今道友信の教え子である。東京大学文科III類への入学時、日本文学(夏目漱石の研究)を専攻するつもりであったが、今道の影響で美学藝術学へ進学したという[要出典]2015年12月22日、交通事故のため東京都板橋区の病院で逝去、57歳没[4]

学歴

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  • 1977年3月 静岡県立浜松北高等学校卒業
  • 1977年4月 東京大学文科III類入学
  • 1983年3月 東京大学文学部 美学藝術学専修課程卒業
  • 1983年4月 東京大学大学院人文科学研究科美学藝術学専門課程入学
  • 1986年3月 同修士課程修了
  • 1987年4月 同博士課程入学
  • 1990年3月 同博士課程単位取得
  • 1993年3月 同博士課程博士(文学)取得 博士論文「生起する作品 : 創造と遊戯をめぐる芸術の存在論的考察」

職歴(常勤)

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  • 1990年4月-1994年 3月 東京大学文学部助手
  • 1994年4月-2005年 3月 慶應義塾大学文学部助教授
  • 2005年4月-2015年12月 慶應義塾大学文学部教授
  • 2008年4月-2015年12月 慶應義塾大学大学院文学研究科委員

職歴(非常勤)

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  • 1990年 9月-1991年3月 学習院女子短期大学
  • 1991年 4月-1996年3月 多摩美術大学
  • 1991年 4月-1998年3月 玉川大学文学部
  • 1992年 4月-1993年3月 放送大学
  • 1997年 4月-1998年3月 学習院大学文学部
  • 1997年 4月-1998年3月 埼玉大学教養学部
  • 1997年 4月-2000年3月 慶應義塾看護短期大学
  • 2001年10月-2002年3月 東京大学文学部
  • 東京藝術大学(美術学部・芸術学科)
  • 早稲田大学第一文学部
  • 早稲田大学オープン教育センター
  • 成城大学大学院文学研究科

海外留学

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  • 1993年 6月-1994年3月 ドイツ  ケルン大学
  • 1999年10月-2001年3月 ドイツ  ミュンヘン大学
  • 2011年 4月-2011年9月 イギリス キングス・カレッジ・ロンドン
  • 2011年10月-2012年3月 ドイツ  ケルン大学

共編書

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  • 『高校倫理からの哲学4 自由とは』岩波書店、2012年
  • 『自省する知-人文・社会科学のアクチュアリティー』慶應義塾大学出版会、2011年
  • 『伝統と象徴-美術史のマトリックス-』沖積舎、2003年
  • 『日本大百科全書』第23巻、小学館、1988年

所属学会

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脚注

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  1. ^ Interlink. “著名人の訃報・葬儀スケジュール”. 2016年8月21日閲覧。
  2. ^ researchmap. “大石 昌史”. 2016年8月21日閲覧。
  3. ^ 慶應義塾大学. “大石昌史 教授”. 2016年8月21日閲覧。
  4. ^ a b 産経デジタル. “【訃報】大石昌史氏(慶応大教授)”. 2016年8月21日閲覧。[リンク切れ]

外部リンク

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