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大石斉治

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大石斉治

大石 斉治(齊治、おおいし さいじ、1875年(明治8年)2月27日[1] - 1952年(昭和27年)3月13日[2])は、明治から昭和時代の政治家大日本帝国陸軍軍人衆議院議員

経歴

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大石喜三右衛門の長男として[3]富山県射水郡、のちの氷見郡氷見町(現氷見市)に生まれる[4][注 1]1917年(大正6年)家督を相続する[3]1893年(明治26年)石川県農学校本科を卒業し、実業学校教員資格検定試験に合格した[2]日露戦争に従軍し、陸軍歩兵中尉に進んだ[2]

農業に従事する傍ら[5]富山県農学校教諭、郡立上伊那甲種農学校教諭兼舎監、徳島県立農業学校教諭、富山県郡立農学校長校長兼教諭を歴任した[2]

また、氷見町会議員、富山県会議員、高岡市助役、在郷軍人会氷見郡連合分会長、土木会議員[2]大政翼賛会高岡市支部常務[5]、富山県農会幹事を務めた[4]

1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙では富山県第2区から翼賛政治体制協議会推薦で出馬し当選[2]。衆議院議員を1期務めた[2]。在任中は翼賛政治会政調厚生、農林兼務委員を務めた[5]。戦後、公職追放となった[6][注 2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『翼賛議員銘鑑』79頁では高岡市生まれ。
  2. ^ 大石済治とある。公職追放の該当事項は「推薦議員」。

出典

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参考文献

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