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大石信云

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大石 信云(おおいし のぶこと、文禄元年(1592年) - 延宝3年1月16日1675年2月10日))は、江戸時代前期の武将赤穂藩浅野氏の家臣。赤穂浪士大石信清の祖父。名は良欽とも[1]。通称は八郎兵衛(はちろべえ)。

関白豊臣秀次の家臣大石良信の三男として生まれる。母は近衛家家臣進藤長治の娘・志茂。浅野家筆頭家老大石良勝は兄にあたる。兄とともに浅野長重長直父子に仕え、450石を与えられた。大坂夏の陣天王寺合戦にも参加し、武功をあげている。

赤穂浅野家重臣の奥野尚次の娘を妻に迎え、息子に大石良総大石信澄を儲けた。娘も2人おり、うち1人が奥野定次に嫁いでいる。正保2年(1645年)に隠居して次男の信澄に家督を譲った。隠居後は道雲斎と称する。

延宝3年(1675年)1月16日に死去。享年84。赤穂の花岳寺に葬られた。法名は龍吟院起山道雲。

脚注

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  1. ^ 義士銘々傳より(発行:泉岳寺)