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大桑 定頼(おおが さだより、生没年不詳)は、美濃国の戦国武将。美濃国8代守護、土岐成頼の二男。
明応5年(1496年)、美濃国山県郡大桑山の城を改築して居城とし、大桑兵部大輔と名乗る。船田合戦では兄の土岐政房に属して軍功があった。
やがて息子の大桑定雄が大桑城主となり、定頼は美濃国多治見郷大畑に移住し、大畑定頼と名乗る。大畑の地で没する。
子に大桑定雄、大畑定近。女(日根野弘就室)。金森長近の祖父。