大甲中軍守備
表示
大甲中軍守備(だいこうちゅうぐんしゅび)は、清朝が台湾に施行した営制であり、大甲守備とも称す。1733年(雍正11年)台湾鎮総兵が台湾府に駐留し、その下部に中、左、右の三営が設置され、,遊撃各1名、中軍守備各1名、千総合5名、把総9名が設置され、台湾を南、北、中の三路に分け防衛に当たらせた。
大甲は当時台湾北路右営に属し、その右営主官である右営遊撃は淡水庁(現在の新竹市)に駐留していた。
1806年(嘉慶11年)、竹塹営守備が設置され、1830年(道光10年)に大甲城業が完成すると、右営は大甲へと移転し大甲中軍守備と改称された。初代守備は陳福龍であり、その下に千総1名、把総1名、外委1名、兵200名を配置していた。