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大瀬うたじ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大瀬 うたじおおせ うたじ
本名 藤沢ふじさわ 能仁よしあき
生年月日 1948年3月17日
没年月日 (2024-07-06) 2024年7月6日(76歳没)
出身地 日本の旗 日本長野県塩尻市
師匠 大瀬しのぶ・こいじ
三代目三遊亭圓歌
出囃子 木曽節
韋駄天
信濃の国
活動期間 1971年 - 2024年
所属 漫才協会
落語協会
公式サイト 大瀬うたじ

大瀬 うたじ(おおせ うたじ、1948年3月17日 - 2024年7月6日)は、日本のお笑い芸人。本名:藤沢 能仁出囃子は『木曽節』又は『韋駄天』又は『信濃の国』。

経歴[編集]

長野県塩尻市出身。長野県塩尻志学館高等学校駒澤大学文学部卒業。

1971年浅草松竹演芸場で大瀬ゆめじと知り合い意気投合し「大瀬ゆめじ・うたじ」のコンビ結成、大瀬しのぶ・こいじに入門。1988年1月、漫才協団(現:漫才協会)真打昇進[1]

2013年4月頃、コンビ解散。以後はピン芸人として活動している。

解散後しばらくは改名の形跡はなかったが、メインの活動場である浅草東洋館の香盤表では「うたじ」名義で表記されており、2014年秋頃より漫才協会ホームページ上でも「うたじ」名義となった。落語協会においては屋号が残ったままの状態が続いていた。

カホンを叩く漫談のピン芸人としての活動のほか、2015年秋より大空遊平結城たかしボーイズ芸のユニット「トリオザキュースケ」を結成したが、半年ほどで活動終了。晩年の内海桂子の一人高座の鳴物なども務めた。

自身の晩年はピン芸人としての活動に専念していた。落語協会での最後の定席出演は2024年1月5日の浅草東洋館初席で、以降は漫才協会の同所での定席興行出演がメインとなっており、亡くなる直前まで活動していた。

2024年7月6日9時、脳幹出血のため、死去した[2][3]。76歳没。

人物[編集]

漫才協会理事を歴任した。囲碁五段。蝶ネクタイがトレードマーク。

コンビ解散後のピンの芸名は「コンビ名を残したい」という意志から「大瀬ゆめじ・うたじ・大瀬うたじ」の予定だったが、長すぎるため「大瀬ゆめじ・うたじ・うたじ」になった。しかしそれでも長すぎるため、コンビ名も屋号も無い「うたじ」となった。

2023年12月、芸名が「大瀬うたじ」となった[1]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b 大瀬うたじ”. 一般社団法人漫才協会. 2024年2月3日閲覧。
  2. ^ 訃報”. 漫才協会 (2024年7月8日). 2024年7月8日閲覧。
  3. ^ 大瀬うたじ 訃報”. 落語協会 (2024年7月8日). 2024年7月8日閲覧。

外部リンク[編集]