大沢基昭
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政8年(1796年)? |
死没 | 嘉永6年10月16日(1853年11月16日) |
改名 | 基条→基昭 |
別名 | 通称:采女 |
官位 | 従四位下・侍従、右京大夫 |
幕府 | 江戸幕府 高家旗本 |
主君 | 徳川家斉→家慶 |
氏族 | 大沢氏(持明院家庶流) |
父母 | 父:大沢基之 |
兄弟 | 基栄、基昭、基蒔、基国 |
妻 | 正室:松平近儔娘 |
子 | 男子、基暢ら |
大沢 基昭(おおさわ もとあき)は、江戸時代後期の高家旗本。通称は采女。官位は従四位下・侍従、右京大夫。
略歴
[編集]高家旗本・大沢基之の子として誕生した。
父・基之の嫡子基栄(長男)は、高家旗本に召しだされたものの、早世した。そのため、庶子の基昭が嫡子に格上げとなった。『寛政重修諸家譜』には、基之の子供として長男基栄・次男基条・三男基蒔・四男基国を掲載しており、基条が基昭に改名したものと推測される。
文政2年(1819年)10月15日、11代将軍・徳川家斉に御目見する。24歳であったという。同年12月22日、高家見習に召しだされて、24日従五位下・侍従・式部大輔に叙任する。後に民部大輔、右京大夫に改める。文政5年(1822年)9月6日、父・基之の死去により家督を相続する。弘化3年(1846年)5月20日、従四位下に昇進する。嘉永6年(1853年)10月16日、死去。
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