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大沢基将

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
大沢基将
時代 江戸時代前期
生誕 元和5年(1619年
死没 延宝6年7月20日1678年9月5日
戒名 真光院殿
墓所 宿盧寺
官位 従四位上左少将
幕府 江戸幕府 高家旗本
主君 徳川家光家綱
氏族 大沢氏持明院家庶流
父母 父:大沢基重
兄弟 基将尚親基哲土方勝次室、
中野弘吉室、松平乗延[1]
養子:基恒
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大沢 基将(おおさわ もとまさ)は、江戸時代前期の高家旗本官位従四位上左少将

生涯

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大沢基重の長男として誕生した。

寛永10年(1633年)2月19日、3代将軍・徳川家光に拝謁する。正保元年(1644年)、従四位下・兵部大輔に叙任され、奥高家に抜擢される。正保3年12月1日(1647年)、侍従に昇進する。

慶安3年(1650年)、父が没したため家督を継ぐ。その後は、たびたび京への遣いの任を果たした。明暦元年(1655年)10月9日、朝鮮通信使日光参拝の準備に日光に出向いた。寛文2年(1662年)、京都を襲った大地震(寛文近江・若狭地震)が起こり、朝廷への機嫌伺いの遣いとして上洛した。寛文3年(1663年)3月25日、霊元天皇即位慶祝のため、松平直政と京都に上洛し、6月3日に従四位上・左少将に昇進した。

延宝6年(1678年)、相模国箱根塔ノ沢温泉で病の療養をし、同所で没した。子がなく、伊勢国津藩藤堂高次の四男・基恒を養子にした。墓所は宿盧寺。

脚注

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  1. ^ 大給松平家
先代
大沢基重
高家大沢家3代当主
1650年 - 1678年
次代
大沢基恒