大沢基実
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 貞享4年(1687年) |
死没 | 元禄13年6月2日(1700年7月17日) |
改名 | 長利→基実 |
別名 | 友太郎、右近 |
戒名 | 智英 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川綱吉 |
氏族 | 持明院家庶流大沢氏 |
父母 | 父:大沢基明、母:本庄宗資の娘 |
兄弟 | 基実、基隆、近藤昔用、女子 |
子 | 養子:英晴 |
略歴
[編集]貞享4年(1687年)、高家旗本大沢基明の長男として誕生した。母は本庄宗資の娘。
元禄4年(1691年)に父基明の死去により4歳で家督を相続し寄合に列した。
元禄12年(1699年)に初めて徳川綱吉に御目見えしたが、翌13年(1700年)に14歳で早世した。
基実には後継者がいなかったため采地2千石は収公されたが、母方の大伯母にあたる桂昌院の要請で、基実の従兄弟である英晴(内藤信常の子)が3百俵を与えられ家名を継いだ。