大沢城 (丹波国)
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大沢城 (兵庫県) | |
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城郭構造 | 山城 |
築城年 | 永禄年間(1558 - 1570年)?[1] |
主な城主 | 酒井勘四郎 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 削平地、竪堀[2] |
位置 | 北緯35度3分0.3秒 東経135度10分21.5秒 / 北緯35.050083度 東経135.172639度座標: 北緯35度3分0.3秒 東経135度10分21.5秒 / 北緯35.050083度 東経135.172639度 |
地図 |
大沢城(おおざわじょう)は、丹波国多紀郡西部(現在の兵庫県丹波篠山市大沢[注釈 1])にあった日本の城(山城)。丹波酒井氏の一族、初田酒井氏の詰城と伝わる[2]。
概要
[編集]230mの城域を持つ中規模の城郭で、標高422m、比高222mの山頂に所在した[2]。
酒井勘四郎の居館と伝わる初田館(丹波篠山市初田)の西に位置し、勘四郎は戦時に大沢城に拠ったとされる[3]。
大沢城から東北に尾根を下った場所には、酒井勘四郎の被官・杉本与右衛門が城主を務めた禄庄城がある[4]。また、禄庄城の北部の同じ大沢内に佐幾山城があり、禄庄城の出城の役割を果たしていた[5]。
大沢城の南900mには南矢代城(丹波篠山市南矢代)があり[2]、矢代酒井氏の酒井氏治が守っていた[6]。酒井氏は、大沢城の西方にある高仙寺城(丹波篠山市見内[7])を酒井党結束の中核とし、大沢城・南矢代城・油井城・栗栖野城などの酒井一族の城により、永禄年間(1558 - 1570年)以後、酒井郷の守りを固めたものとみられる[8]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 丹南町史編纂委員会 1994, p. 399.
- ^ a b c d e 高橋 2000, p. 210.
- ^ 丹南町史編纂委員会 1994, pp. 399, 611–613.
- ^ 丹南町史編纂委員会 1994, pp. 612, 614.
- ^ 丹南町史編纂委員会 1994, pp. 612, 615.
- ^ 丹南町史編纂委員会 1994, p. 617.
- ^ 高橋 2000, p. 209.
- ^ 丹南町史編纂委員会 1994, pp. 617, 621–622.
参考文献
[編集]- 高橋成計 著「城郭データ」、八上城研究会 編『戦国・織豊期城郭論 丹波国八上城遺跡群に関する総合研究』和泉書院〈日本史研究叢刊12〉、2000年。ISBN 4-87088-996-X。
- 丹南町史編纂委員会 編『丹南町史 上巻』丹南町、1994年。