大江清言
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大江 清言(おおえ の きよとき)は、平安時代中期の貴族。氏姓は弓削朝臣のち大江朝臣。伊予権守・大江千古の孫にあたる大隅守・大江仲宣の子。官位は従五位下・薩摩守。
経歴
[編集]一条朝にて、文章生から民部少録を経て、長保3年(1001年)正月に権少外記に補せられる。同年7月に少外記、長保5年(1003年)大外記と外記にて昇任され、長保6年(1004年)巡爵により従五位下・周防権介に叙任されて地方官に転じた。またこの間の長保5年(1003年)に弓削朝臣から大江朝臣への改姓を許されている。
その後、一条朝末の寛弘6年(1009年)薩摩守に任ぜられるが、長和2年(1013年)秋の任期満了を前に、4月に辞表を提出して任を解かれている。
官歴
[編集]注記のないものは『外記補任』による。
- 時期不詳:文章生[1]
- 長保元年(999年) 5月11日:見民部少録[2]
- 長保3年(1001年) 正月22日?:権少外記。7月13日:少外記
- 長保5年(1003年) 正月:大外記。12月28日:弓削朝臣から大江朝臣に改姓
- 長保6年(1004年) 正月5日:従五位下[3]、周防権介
- 寛弘6年(1009年) 日付不詳:薩摩守[4]
- 長和2年(1013年) 4月27日:辞薩摩守[4]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 井上幸治『外記補任』続群書類従完成会、2004年。ISBN 4797107235。全国書誌番号:20720129 。
- 宮崎康充, 遠山久也『國司補任』続群書類従完成会〈第4: 永延元(987)年-延久5(1073)年〉、1989年。全国書誌番号:90053822。
- 福井迪子「大江嘉言考 : 詠歌活動とその交友」『語文研究』第34巻、九州大学国語国文学会、1972年12月、16-31頁、doi:10.15017/12169、hdl:2324/12169、ISSN 0436-0982。