コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

大日橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大日橋
地図
基本情報
日本の旗 日本
所在地 富山県富山市 - 中新川郡立山町
交差物件 常願寺川
用途 道路橋
路線名 富山県道3号富山立山魚津線
管理者 富山県富山土木センター
座標 北緯36度40分20.3秒 東経137度16分59.5秒 / 北緯36.672306度 東経137.283194度 / 36.672306; 137.283194 (大日橋)
構造諸元
形式 ケルバートラス橋
材料
全長 540.2 m[1]
6.5 m[1]
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示
富山県道3号標識

大日橋(だいにちばし)は、富山県富山市中新川郡立山町常願寺川両端を結ぶ富山県道3号富山立山魚津線道路橋梁である。

橋の名称は、両岸の地域名である「大島」と「日置」の各頭文字をとったのが由来である[2]

完成当時、橋の鉄骨は珊瑚色、ガードレールは水色であった[3]。現在は鉄骨部分が水色に塗装されている[2]

夜間の照明設備も取り入れられている[3]

概要

[編集]
  • 左岸:富山県富山市大島(大中島)[4]
  • 右岸:富山県中新川郡立山町日置[4]
  • 道路の路線名:富山県道3号富山立山魚津線(現橋完成当時は県道富山五百石線という路線名であった[3]
  • 橋長:540.2 m[1]
  • 幅員:6.5 m[1](2車線[3]
  • 構造:ケルバートラス橋[1]
  • 請負業者:佐藤工業川田工業[3]
  • 総工費:3億9,500万円[3]

沿革

[編集]
  • 1903年明治36年) - 私設の木桁橋を架設。当初は賃取橋であった[4][5]。また、この時代の橋は高さが低く、足の部分の半分まで川の水に浸っている状態であった[6]
  • 1923年大正12年) - 利用度が高く腐朽著しいため県費で架け替えを実施[4][5]
  • 1947年昭和22年)4月 - 富山県の直営で再度架け替え工事に着手[7]
  • 1949年(昭和24年)5月4日 - 延長446.5m、幅員4.5m、高さ5m、二重張りの木橋に架け替えられる(総工費は6千万円)[7]
  • 1962年(昭和37年) - 現在の橋が着工。この時点では1966年(昭和42年)3月に完成予定とされていた[8]
  • 1965年(昭和40年)9月25日 - 現在の橋に架け替えられ、9月27日午前10時に開通式が行われた[4][3]。これにより全長が100 m延び、車道幅も7 mに拡大された[2]
  • 1986年(昭和61年)7月28日 - 下流側に幅員2.5 mの自転車歩行車専用道を増設(完成式は同年7月30日。なお、利用自体は同年6月11日から始まっていた)[2][9]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e FR16:川を渡る橋・富山県(2020年8月18日閲覧)
  2. ^ a b c d 北日本新聞』2016年10月17日付朝刊8面『とやまの橋58 大日橋』より。
  3. ^ a b c d e f g 『北日本新聞』1965年9月26日付朝刊11面『大日橋あす開通式』より。
  4. ^ a b c d e 角川日本地名大辞典 16 富山県』(昭和54年10月8日、角川書店発行)493ページ
  5. ^ a b 『目で見る 滑川・新川・婦負の100年』(1993年9月25日、郷土出版社発行)150頁。
  6. ^ 『河川の歴史読本 常願寺川』(2001年3月、国土交通省北陸地方整備局富山工事事務所発行)23ページ。
  7. ^ a b 『富山市史 第三巻』(1960年4月15日、富山市役所発行)211 - 212頁。
  8. ^ 『立山町史 下巻』(1984年2月15日、立山町発行)1,311頁。
  9. ^ 『北日本新聞』1986年7月29日付朝刊18面『常願寺川に架かる大日橋 歩行者・自転車道が完成 通学生らに福音』より。

関連項目

[編集]