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大徳寺 (中野市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大徳寺
所在地 長野県中野市片塩871
位置 北緯36度44分40秒 東経138度20分26秒 / 北緯36.744384度 東経138.340483度 / 36.744384; 138.340483座標: 北緯36度44分40秒 東経138度20分26秒 / 北緯36.744384度 東経138.340483度 / 36.744384; 138.340483
山号 延命山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼仏
創建年 1450年
開山 潙岸慶祐和尚
開基 通庵玄達和尚
中興年 1559年
法人番号 4100005005369 ウィキデータを編集
大徳寺 (中野市)の位置(長野県内)
大徳寺 (中野市)
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大徳寺(だいとくじ)は、長野県中野市片塩871にある曹洞宗の寺院である。小布施町玄照寺の末寺で山号は延命山。本尊は釈迦牟尼仏(木像)で室町時代後期のもので古い歴史をもっている。

概要

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大徳寺の開祖は1450年(宝徳二年)、臨済宗建仁寺通庵玄達和尚。浜津山善昌寺といって現在の浜津ヶ池東端にあった。長野市松代町明徳寺三世鴻岸慶祐和尚が1559年(永禄二年)に中興開祖となった。1622年四世祐学和尚は寺号を大徳寺、山号を延命山と改めた。八世円了和尚時代まで明徳寺の末寺であったが、本寺を小布施町玄照寺へ移し現在にいたる[1][2]

本堂

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1719年(江戸中期)円了和尚のとき火災にあい、本堂庫裡を焼失。1724年(享保九年)当時平野村東江部の富豪山田庄左エ門がこれを再建した。1792年(寛政四年)十四世龍岳和尚の代にも火災にあい古書、宝物など焼失、本尊だけは残った。1810年(文化七年)庫裡を再建、1820年(文政三年)本堂が再建された。2011年(平成23年)本堂改修。現住職は畔上泰仁師で二十四世[2]

歴史

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  • 1450年(宝徳二年) 臨済宗建仁寺通庵玄達和尚。浜津山善昌寺といって現在の浜津ヶ池東端にあった。
  • 1559年(永禄二年) 長野市松代町明徳寺三世潙岸慶祐和尚が中興開祖となった。
  • 1622年(寛永二年) 四世祐学和尚は寺号を大徳寺、山号を延命山と改めた。
  • 1625年(寛永五年) 中野市草間に竜徳寺を建立、祐学和尚自ら開祖となり末寺とした。
  • 1653年(承応二年) 六世祐春和尚同市新保に本光寺を建立末寺とする。 八世円了和尚の代に小布施町の玄照寺の末寺となる。       
  • 1719年(享保四年) 円了和尚のとき火災にあい、本堂庫裡を焼失。
  • 1724年(享保九年) 当時平野村東江部の富豪山田庄左エ門がこれを再建した。
  • 1792年 (寛政四年) 十四世龍岳和尚の代にも火災にあい古書、宝物など焼失、本尊だけは残った。
  • 1810年(文化七年) 庫裡を再建。
  • 1820年(文政三年) 本堂が再建された[2]
  • 1891年(明治24年)山門新築。
  • 1979年(昭和54年) 鐘楼を建立。
  • 1982年(昭和57年) 庫裡を改築。
  • 2000年 (平成12年) 座禅堂を建立。
  • 2011年(平成23年) 本堂改修。

境内

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  • 大徳寺山門
    大徳寺山門
    山門
  • 本堂
  • 鐘楼 - 毎日、午前6時と午後5時(夏は6時)に梵鐘を鳴らす。
  • 座禅堂 - 毎月第三日曜日午前8時30分より座禅会を開催している。
  • 庫裡

歴代

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  • 開祖   潙岸慶祐(いがんけいゆう)
  • 二世   圓室是鑑(えんしつぜかん)
  • 三世   漸室秀頓(ぜんしゅつしゅうとん)
  • 四世   道岩祐学(どうがんゆうがく)
  • 五世   中興文室芳學(ぶんしつほうがく)
  • 六世   風外祐春(ふうがいゆうしゅん)
  • 七世   快岩長恩(かいがんちょうおん)
  • 八世   再中興皛名円了(ゆうみょうえんりょう)
  • 九世   高巖松庭(こうがんしょうてい)
  • 十世   月岑直笑(げっしんじきしょう)
  • 十一世  瑞峯松祥(ずいほうしょうしょう)
  • 十二世  再中興天桂錬石(てんけいれんせき)
  • 十三世  千勇俊岳(せんゆうしゅんがく)
  • 十四世  陽雲龍岳(よううんりゅうがく)
  • 十五世  祥巖岳州(しょうがんがくしゅう)
  • 十六世  中興白岑俊苗(はくしんしゅんみょう)
  • 十七世  圓宗朴明(えんしゅうはくみょう)
  • 十八世  祖嶽周禅(そがくしゅうぜん)
  • 十九世  復興喚山蜜應(かんざんみつおう)
  • ニ十世  大信良海(たいしんりょうかい)
  • 二十一世 慈徳總雲(じとくそううん)
  • 二十二世 - 大興文學(たいこうぶんがく)
  • 二十三世 - 重興寛學智仁(かんがくちじん)
  • 二十四世 - 畔上泰仁 (2015~)

脚注

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参考文献

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  • 信濃の寺刊行会「専福寺」『信濃の寺』信濃の寺刊行会、1970年2月15日、59-61頁。 

関連項目

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