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大島輝久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大島 輝久(おおしま てるひさ、? - 1998年8月20日)は日本競馬評論家

来歴

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日刊スポーツ記者時代には橋本邦治に記者としての職を得え[1]、後に朝日新聞[2]に移籍し、1970年代後半からは赤木駿介の後を継いでフジテレビ競馬中継」解説者[3]を務めた。

1976年にはまだ重賞にも出ていないトウショウボーイを「十年に一頭出るか出ないかの馬」と評し、第一線の記者として戦後の名馬を見続けてきた大島はトキノミノルシンザンを「日本の二大名馬」と言い、トウショウボーイはその二頭に優るとも劣らない馬だと評価[2]。その後も大島は30年を超えるキャリアの中で「初めて惚れた馬」だと公言し、関東競馬ファンには「トウショウボーイの大島輝久」として知られるようになる[2]

東京競馬記者クラブ会友で、晩年は週刊競馬ブックの「日本の調教師」、「一筆啓上」で健筆をふるったが、1998年8月20日午後9時40分、肺肉腫のため死去。77歳没[4]

出演番組

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  • 競馬中継(フジテレビ)

脚注

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  1. ^ 優駿』1992年4月号、pp.82-83
  2. ^ a b c 江面弘也『名馬を読む』三賢社、2017年6月29日ISBN 4908655073、p145。
  3. ^ 拝啓 寺山修司様 日本馬が招待馬をけ散らすことが当たり前の時代がやってきました 没後40年の「風の吹くまゝ」 - スポーツ報知
  4. ^ ニュースぷらざ