コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

大島正徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大島正徳

大島 正徳(おおしま まさのり、旧字体大島 正德1880年11月11日 - 1947年4月21日)は、日本の哲学者教育家

略歴

[編集]

神奈川県海老名市出身。実家は豪農で、父親は蚕種業のかたわら自由民権運動に携わり、子供の教育にも自由主義を貫いた[1]耕余塾で学んだのち、同志社中学校第一高等学校を経て、1904年東京帝国大学文学部哲学科卒。研究生を09年までやり、14年東京帝国大学哲学科講師、16年助教授、1924年に同大及び一高教授を務める[2][3]

帝大を退職し、1925年東京市学務局長に就き[4]、同教育局長、東京市会議員、帝国教育会理事[5]などを務めた。37年世界教育会議日本事務局の事務総長。1942年には村田省蔵大日本帝国陸軍第十四軍(フィリピン占領軍)最高顧問の比島調査委員会で教育及び宗教担当委員を務めた[6]。同年発足の青年南方文化協会(日比青年文協教会の後身)会長も務めた[7]

戦後は公職追放を経て[8] 、教育刷新委員会委員。

家族

[編集]

著書

[編集]
  • 『新思想の批判と主張』青年教育会 1920 
  • 『思索の人生』青年教育会 1922
  • 『経験派の哲学』至文堂 1923 
  • 『倫理学概論』至文堂 1924 
  • 『自治公民の根本義』至文堂 1927 
  • 『近世英国哲学史』三共出版社 1928 
  • 『昭和公民読本』政治教育協会 1929
  • 『現代哲学概観』至文堂 1931
  • 『哲学の話』宝文館 1933 
  • ヒューム人性論』岩波書店 1935 大思想文庫
  • 『立憲的忠君愛国論』選挙粛正同盟会 1935
  • ロック』岩波書店 1938 大教育家文庫
  • 『哲学概論』至文堂 1939
  • 『Japan from within = やまと心』北星堂 1940
  • 『世界の心を語る 北中南米旅の雑話』帝国教育会出版部 1940
  • 『知的生活』至文堂 1941
  • 『日本文化と国民性』春秋社松柏館 1942
  • 『現代実在論の研究』至文堂 1943
  • 『我が国民性の反省』宝文館 1945 
  • 『現代アメリカ哲学』大日本出版 1946
  • 『デモクラシーの基本概念』至文堂 1946 
  • 『落想録』宝文館 1946 
  • 『社会生活の基調』日光書院 1947 日本建設新書
  • 『倫理の話』宝文館 1947
  • 『新倫理学概論』至文堂 1948
  • 『デモクラシーと我が国民性』至文堂 1948 
  • 『海老名郷土誌』国書刊行会 1980
  • 『世界心国家心個人心』大空社 1996 叢書日本人論

脚注

[編集]
  1. ^ 菊川忠夫「大島正徳の生涯と思想」(外部リンク参照)
  2. ^ 国民道徳批判 大島正徳(陸軍士官学校高等官集会所, 1924)
  3. ^ 御成婚と精神作興東京市 編 (帝都復興叢書刊行会, 1924)
  4. ^ 国文新選教授参考書. 4(明治書院, 1925)
  5. ^ 日本幻燈文化協会『日本文化団体年鑑. 昭和18年版』(日本文化中央聯盟, 1943)
  6. ^ 盛田良治「日本占領期フィリピンの現地調査」人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (1997), 79: 163-188
  7. ^ 青年南方文化協会『日本文化団体年鑑. 昭和18年版』(日本文化中央聯盟, 1943)
  8. ^ 公職追放の該当事項は「翼賛体制協議会構成員」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、496頁。NDLJP:1276156 
  9. ^ 大島正義(読み)おおしま まさよしコトバンク

参考

[編集]
  • デジタル版日本人名大辞典:[1]
  • 菊川忠夫「大島正徳の生涯と思想」神奈川工科大学研究紀要、1984年:[2]