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大島大火

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大島大火(おおしま たいか)は、1965年昭和40年)1月11日伊豆大島東京都大島町)で発生した大規模な火災である。

島西部の集落元町の中心部が壊滅した。

記事により「伊豆大島大火」と表記される場合もある。

概略

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1965年(昭和40年)、1月11日。その日の伊豆大島は強風が吹き荒れ、強風波浪注意報が発令されていた。午後9時頃には元町桟橋近くから小さな小火(ぼや)が出たが、消防隊の出動により無事に鎮火している。

ところが、それから2時間ほど経過した午後11時10分頃、元町桟橋近くの寿司店より出火。出火原因は、店の酔客が2階の客間の石油ストーブを倒した事による。午後11時15分、火災の発生を知らせる半鐘が集落に鳴り渡るが、集落のもっとも風上側から発した火の手は最大瞬間風速36.2m超の海風にあおられ、風に乗って海から山方面に向かって吹き上げられた。火の粉が元町を真っ赤に覆い尽くす状況は、遠く30km離れた対岸伊豆半島の熱川や稲取から、また伊豆七島利島からもよく見えたという。

炎は一晩に渡って元町集落を嘗め尽くし、1月12日午前6時45分にようやく鎮火。元町市街地の約7割、大島町の3割が焼失する程の、想定外の大惨事となった[1]

本大火が原因による死者は出なかったが、大島大火での全焼戸数は、584棟418戸。公共建物の全焼は、図書館大島支庁郵便局法務局大島出張所、農協等。焼失面積16万5,000㎡。罹災世帯408世帯1,273人。被害総額20億7,000万円。なお大島町役場、七島信用組合本店は火事の中心地にあったものの、コンクリート造りであったため焼失は免れた。

1月12日、東京都は大島町災害救助法を適用した。同年3月までの全国からの見舞金は総額1億2,880万円にのぼった[2]

大島大火は、読売新聞の1965年「10大ニュース」のひとつに選ばれた[3]

出典・参考文献

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  • 大島大火災害対策実施報告書(1965年発刊・東京都災害対策本部)
  • 第048回国会 災害対策特別委員会 第2号 昭和四十年一月二十八日(木曜日)議事録 [4]
  • 「火災」日本火災学会誌(日本火災学会編)1965年8月号、記事125P~130P「大島の大火」(著者・今津博)ISSN 0449-9042
  • 「防災情報新聞」NPO法人防災情報機構発行(防災情報新聞社編集)
  • 「日本の消防1948~2003・年表1災害編」近代消防・臨時増刊号
  • 七島新聞
  • 伊豆大島志考
  • 1965年1月12日~1月31日 全国主要新聞記事

脚注

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  1. ^ 大島元町大火”. 東京WEB写真館. 2012年7月17日閲覧。
  2. ^ 大島大火”. 東京都大島町. 2012年7月17日閲覧。
  3. ^ 1965年の10大ニュース[出典無効] - 読売新聞 各年代の10大ニュース 2014年07月閲覧
  4. ^ 大島大火 災害対策特別委員会衆議院会議録”. 衆議院会議録. 2012年7月19日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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