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大岡忠豫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
大岡忠豫
時代 江戸時代中期
生誕 延享2年(1745年
死没 明和7年1月12日[1]1770年2月7日
別名 将監、大橘、求馬、忠右衛門、大蔵(通称[2]
戒名 仁譲院忍誉道和日雅[2]
三河西大平藩世嗣
氏族 大岡氏
父母 大岡忠宜、小瀬氏[2]
兄弟 忠豫忠恒水野忠体室、堀田正貫室、
長谷川正満室、大岡忠恒養女
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大岡 忠豫(大岡 忠予、おおおか ただより)は、江戸時代中期の三河国西大平藩の世嗣。通称は将監。

略歴

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延享2年(1745年)、2代藩主・大岡忠宜の長男として誕生。

宝暦4年(1754年)、9代将軍・徳川家重に拝謁するが、家督相続前の明和2年(1765年)に廃嫡された。

代わって、弟・忠恒が嫡子となった。明和7年(1770年)死去。享年26。

脚注

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  1. ^ 『家譜』では1月17日
  2. ^ a b c 『系図纂要』