大塚綱久
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 掃部助 |
主君 | 佐竹義舜、結城顕頼 |
氏族 | 大塚氏 |
子 | 吉久、為久 |
大塚 綱久(おおつか つなひさ)は、戦国時代の武将。佐竹氏、白河結城氏の家臣。常陸国羽黒山城代。
略歴
[編集]永正2年(1505年)、佐竹義舜に背いて結城顕頼に従い羽黒山城代となった。天文年間の始めの6月9日、佐竹義篤が渋江内膳を将として常陸境関渡に押し寄せ、綱久は斑目広基、河東田大膳らと共に防戦に努めたが、衆寡敵せず戦死し、関渡は佐竹氏の手に陥った[1]。
大塚氏は綱久のあと三代に渡って羽黒山城を治めていたが、永禄7年(1564年)、綱久の子・為久の代に佐竹氏に攻められ落城した。その後、為久[2]は天正6年(1578年)に陸奥石川氏の一族の浅川氏の浅川城を攻めた際に弓で射られ、討死した。