大塚武松
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大塚武松(おおつか たけまつ、1878年8月2日-1946年12月5日)は、日本の幕末史学者。
人物・来歴
[編集]山口県岩国出身。1903年(明治36年)東京大学文科大学史学科卒。
1906年(明治39年)東大史料編纂掛補助となり、外務省の「大日本外交文書」の編集に携わったのち、1911年(明治44年)文部省維新史料編纂会常置委員となり、1917年(大正6年)維新史料編纂会編纂官となり,「概観維新史」の執筆の中心となった。1927年(昭和2年)欧米留学。1935年(昭和10年)東京高等師範学校教授を兼任。その間京都帝国大学、東京文理科大学などの講師を務めた。
1936年(昭和11年)『国体の本義』編纂委員(国史担当)を務めた[1]。 1939年(昭和14年)『概観維新史』編述主任、1940年(昭和15年)維新史料編纂官を退官、東京女子高等師範学校教授・上智大学教授[2]。
家族
[編集]- 父・大塚慊三郎(1849-1924) ‐ 岩国藩士。熊代慊三郞名で衆議院議員。[3]
- 妻・アキ(1886-) ‐ 男爵井上光の四女。[3]
- 長男・大塚振武(1905-)‐浦賀重工業社長。[3]
- 二男・井上惺三郎(1907-) ‐ 男爵平佐蕉雨の養子となり、母方の井上男爵家を継ぐ。[3]
- 三男・大塚範佐(1909-1934) ‐ 海軍大尉。館山湾で墜落事故により夭折。[4][3]
- 妹・河上ヒデ(秀、1885-) ‐ 河上肇の妻。[3]
- 弟・大塚有章(1897-1976) ‐ 共産主義活動家。[3]
- 妹・末川八重(1903-)‐末川博の妻。[3]
著書
[編集]- 『幕末外交史の研究』宝文館, 1952 新訂増補版 宝文館出版, 1967
編纂
[編集]- 『維新日乗纂輯』第1-5 編. 日本史籍協会, 1925-1928
- 倉橋泰聡『議奏加勢備忘』第1,2 岩崎英重共編. 日本史籍協会, 1926
- 『吉川経幹周旋記』第1-6 編. 日本史籍協会, 1926-27
- 『防長四境の役』編. 江木千之, 1926
- 『五卿滞在記録』 (日本史籍協会叢書) 編. 日本史籍協会, 1927
- 『岩倉具視関係文書』第1-8 (日本史籍協会叢書) 編. 日本史籍協会, 1927-1935
- 『鳥取池田家文書』第3 編. 日本史籍協会, 1927
- 『所司代日記』 (日本史籍協会叢書) 編. 日本史籍協会, 1928
- 『藩制一覧表』上,下巻 (日本史籍協会叢書) 編. 日本史籍協会, 1928-1929
- 『遣外使節日記纂輯』第1-3 (日本史籍協会叢書) 編. 日本史籍協会, 1928-1930
- 『渋沢栄一滞仏日記』編. 日本史籍協会, 1928
- 久邇宮朝彦『朝彦親王日記』上,下巻 (日本史籍協会叢書) 編. 日本史籍協会, 1929
- 『嵯峨実愛日記 原題続愚林記』第1-3 (日本史籍協会叢書) 編. 日本史籍協会, 1929-1931
- 『橋本実梁陣中日記』編. 日本史籍協会, 1929
- 『吉田東洋遺稿』編. 日本史籍協会, 1929
- 『川勝家文書』(日本史籍協会叢書) 編. 日本史籍協会, 1930
- 『夷匪入港録』第1,2 (日本史籍協会叢書 編. 日本史籍協会, 1930-1931
- 『採襍録』第1,2 (日本史籍協会叢書) 編. 日本史籍協会, 1931
- 『楫取家文書』第1,2 編. 日本史籍協会, 1931
- 『広沢真臣日記』編. 日本史籍協会, 1931
- 井上信元『長崎警衛記録 (日本史籍協会叢書) 編. 日本史籍協会, 1932
- 『明治戊辰局外中立顛末』(日本史籍協会叢書) 編. 日本史籍協会, 1932
- 『薩藩出軍戦状』第1,2 (日本史籍協会叢書) 編. 日本史籍協会, 1932-1933
- 『川路聖謨文書』第1-8 (日本史籍協会叢書) 藤井甚太郎 共編. 日本史籍協会, 1932-1934
- 『中山忠能履歴資料』第1-10 (日本史籍協会叢書) 藤井甚太郎 共編. 日本史籍協会, 1932-1935
- 『尾崎忠征日記』第1,2 編. 日本史籍協会, 1932
- 『徳川昭武滞欧記録』第1至3 編. 日本史籍協会, 1932