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大塚八木右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大塚 八木右衛門(おおつか やぎえもん、生没年未詳)は、戦国時代土佐国の豪族で下長谷城主。土佐一条氏の家臣。一条家国侍36人の中の1人。

天正2年(1574年)、豊後国臼杵へ主君一条兼定を追放した羽生・為松・安並の一条氏三家老に憤慨し、平素から反感を抱いていた加久見左衛門・大岐左京進・江口玄蕃・橋本和泉ら国侍と共に急遽兵を挙げて中村城へ討ち入りをかけ、家老たちを滅ぼした[1]。この混乱に乗じ、長宗我部元親が叛乱鎮定に名を借りて一条領を占領したため、結果的にこの行為は土佐一条氏の衰亡を早めることになった。

天正3年(1575年)、兼定は中村に復帰を試み、大塚氏も馳せ参じて長宗我部軍と戦うも敗れ、長宗我部氏に降伏して一命と領地を安堵されたが、数年にして滅んだ。

出典

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  1. ^ 宿毛市史【中世編-一条氏と宿毛-】”. 宿毛市. 2021年6月21日閲覧。

関連項目

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