大城朝恕
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大城 朝恕(おおしろ ちょうじょ、1888年 - 1939年)は、沖縄県出身の空手家。
首里大中町に生る。
県立工業高校の教職の傍ら同校生徒に空手を指導する。
沖縄第一の棒者知念親雲上三良の直弟子で、その棒術は沖縄県下一品であった。
金城が多くの影響を受けたのは、少年時代(中学二年以降)からの師だった大城朝恕である。大城は学校系統の唐手家(工業学校教師)ながら、平安を教えず、首里手の格闘技法の研究に熱心だった。大城の友人だった道場系統の喜屋武にもこの傾向があり、徳田安文らの学校教師は別として、首里手回帰の傾向が強かった。
来歴
[編集]1925年、吉田安昌から「各流派合同で道場を設け、総合的研究を含めて教える」ことの提案があり、10月、沖縄で初めての空手道場「唐手研究会」が「沖縄空手研究倶楽部」に改組設立。指導は許田重発、宮城長順、本部朝勇、花城長茂、大城朝恕 知花朝信、中国拳法の呉賢貴も参加。主任教授に摩文仁賢和、宮城長順が就任。
逸話
[編集]大城の道場では、金城裕が習った時期よりも前まで、サクと呼ばれる木剣を使った打ち込み稽古を行っていた。これにより、松村宗棍から示現流が受け継がれていたことがわかる。
弟子
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 唐手大鑑 金城裕著
- 本部流 昭和30年代の本部御殿手(5) ―前編―
- 正統唐手成徳会