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大垣市立青墓小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大垣市立青墓小学校
地図北緯35度23分04秒 東経136度33分46秒 / 北緯35.38451度 東経136.56285度 / 35.38451; 136.56285座標: 北緯35度23分04秒 東経136度33分46秒 / 北緯35.38451度 東経136.56285度 / 35.38451; 136.56285
国公私立の別 公立学校
設置者 大垣市
設立年月日 1873年
共学・別学 男女共学
学校コード B121220200173 ウィキデータを編集
所在地 503-2221
岐阜県大垣市青墓町1丁目787
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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大垣市立青墓小学校(おおがきしりつ あおはかしょうがっこう)は、岐阜県大垣市にある公立小学校

概要

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  • 通学区域は青墓町、青墓町1-5丁目、青野町、榎戸町1-3丁目、矢道町1-3丁目、昼飯町(大部分)、稲葉東1-3丁目、稲葉西1・2丁目、稲葉北1-3丁目であり、公立中学校の進学先は大垣市立赤坂中学校[1]である。

沿革

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  • 1873年(明治6年) - 青野村に青野学校が開校。
  • 1874年(明治7年) -
  • 1886年(明治19年) - 青野学校が青野簡易科小学校、青渓学校が青墓簡易科小学校に、それぞれ改称する。
  • 1893年(明治26年) - 青野簡易科小学校と青墓簡易科小学校が統合し、青野簡易科小学校となる。
  • 1894年(明治27年) - 青墓村大字大堀に移転。榎戸村、矢道村、昼飯村の児童が転入する。
  • 1897年(明治30年) -
    • 青墓村、青野村、榎戸村、矢道村、昼飯村が合併し、青墓村が発足。
    • 青墓尋常小学校に改称する[5]
  • 1905年(明治38年) - 農業補習学校を付設[6]
  • 1911年(明治44年) - 現在地に移転。
  • 1941年(昭和16年) - 青墓国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 青墓村立青墓小学校に改称する。組合立不破中学校[7]青墓分校を併設する。
  • 1948年(昭和23年)9月 - 組合立不破中学校から青墓村が離脱し、組合立不破中学校青墓分校を廃止[8]
  • 1953年(昭和28年)5月1日 - 赤坂町と青墓村で教育事務組合を共同設置し、赤坂町青墓村教育事務組合立青墓小学校に改称する。
  • 1954年(昭和29年)9月1日 - 赤坂町と合併し、赤坂町となる。同時に赤坂町立青墓小学校に改称する。
  • 1964年(昭和39年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造3階建)が完成(現・中校舎)。
  • 1967年(昭和42年)9月1日 - 赤坂町が大垣市に編入される。同時に大垣市立青墓小学校に改称する。
  • 1972年(昭和47年) - 校舎増築(現・西校舎)。
  • 1975年(昭和50年) - 校舎増築(現・東校舎)。
  • 1977年(昭和52年) - 体育館が完成。
  • 1989年(平成元年) - 特別教室(南校舎)が完成。

脚注

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  1. ^ 大垣市立小中学校の通学区域等を定める規則
  2. ^ 大垣市史 青墓編 P517による。青墓小学校HPでは青墓学校。
  3. ^ 現・大垣市立荒崎小学校
  4. ^ 現・大垣市立赤坂小学校
  5. ^ 大垣市史 青墓編 P521による。青墓小学校HPでは1901年。
  6. ^ 大垣市史 青墓編 P523による。青墓小学校HPでは1909年。
  7. ^ 垂井町宮代村荒崎村、青墓村、表佐村府中村岩手村の組合。
  8. ^ 青墓村は赤坂町組合立赤坂中学校(赤坂町立赤坂中学校を改称)への通学となる。

参考文献

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  • 大垣市史 青墓編

関連項目

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外部リンク

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